何よりも文体――『fishy』(3)

28歳の美玖は不倫がばれて、相手の奥さんから、150万円の慰謝料を請求されている。万事休した美玖は、ガールズバーで目いっぱい働いて返そうとする。真面目なものである。
 
いつかは小説を書きたい美玖は、3人の中では、いちばん有為転変があり、しいて言えば希望がある。美玖は最終章で結婚までしてしまう。
 
それにしてもこの3人は、じつによく議論を交わす。「三人の議論する女」、とタイトルを替えたいくらい、意見を戦わす。しかもそれぞれが、決して妥協しない。
 
だからしばしば気まずくなって、喧嘩別れに近いかたちで解散することになる。しかしそれっきりにはならない。
 
こういう「議論する小説」は、日本では珍しいから、編集者もオビを書くのは大変である。

「友愛でも共感でもなく、/この刹那を愉しむ女たち」(オビ表)は、かなり苦し紛れで、強いて言えばまったくの勘違いだと、私は思う。

弓子や美玖は、とくに美玖は、刹那の快楽に身をゆだねることは稀にはあれど、弓子やユリと議論しつつ、誠実に生きようとしている。「友愛でも共感でもなく、」というのはその通りだが、後半のところが違うのだ。

でもそれが、「たしかな真実を求めて議論を戦わす」ではオビにならないし、これは本当に、編集者が一週間、寝ないで考えるべきところなのだ。
 
問題は、弓子や美玖のようには、議論が同じ水準にはならない、ユリの場合だ。ユリの各節は、弓子や美玖の場合とは、文章の性質が違う。

「episode 3」に、ユリが電車の中で痴漢に遭う場面が出てくる。

ユリは痴漢にやりたいようにやらせておいて、機を見て爆発的に反撃する。

「男のこめかみの辺りから血が滴り落ちているのを見て、自分の中の血という血が竜巻のように湧き上がっていくのを感じる。自分が制御不能に陥っていくのが分かった。パンプスの先で股間を蹴りつけるとうめき声が上がり、男が股間を両手で庇ったためガラ空きになった顔を蹴りつける。『お前の住所探し出して絶対に殺してやる!』『私を触ったことを一生後悔させてやる!』『この私を!』『よくもこの私を触りやがったな!』『ゴミ! カス! 一刻も早く死ね!』怒鳴り散らしている内に身体中が興奮に戦慄〔わなな〕いていることに気づく。」
 
自分で自覚しているが、どうすることもできない。それどころか、ますますエスカレートしていく。

「バッグを漁ってサンプルファイルに張り付けてある長方形のタイルをべりっと剝がすと右手に握り馬乗りになって力任せに男の側頭部に打ち付ける。ピっと血しぶきが上がり私の手にかかる。『痴漢の血が私にかかった!』『よくも私に血をかけたな!』『この痴漢が!』助けて! と叫び起き上がろうとする男の首の付け根にもう一度、肩にもう一度、顔を覆う腕にもタイルを振り下ろす。『誰か! 助けて!』頭にぶっ刺してやりたい!」
 
しかし駅員が来るのを見て、はっとする。これは過剰防衛だ。
 
しかし金原ひとみは、ここまで書かずにはいられなかった。著者が制御できなくなっている、あるいは頭にぶっ刺す直前で、かろうじて踏みとどまっている、としか私には思えない。

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