侃侃諤諤、抱腹絶倒、快刀乱麻――『蓮實養老縦横無尽――学力低下・脳・依怙贔屓』(3)

蓮實さんと養老さんが、ともに怒っているところもある。しかしこれは、なかなか通じないのではないか。

「蓮實 私は、数学者なんてものはいないと思っているんです。社会的な職業として数学者を自称しうる人はいるでしょうが、問題は、数と思考する主体との関係をどうするかということを考えているか考えていないか、だけである。」

これは難しい。「数と思考する主体との関係をどうするか」、なんてことを考えてる数学者は、まずいないんじゃないか。そもそも、数学の範疇に入ってくる問題とは思えない。
 
もう少し読んでみる。
 
大多数の数学者は、「まず大学内の身分として選んでいるわけで、数との真の対決をいつどこでしているかというのが我々には見えてこない。」
 
うーむ。我々に見えてこないのは、我々の方にも問題があるんじゃないだろうか、すくなくとも私の方には問題がある、と茶々を入れたくなる。

「それは他の学問にも言えることです。フランス文学者を自称する人はいっぱいいますが、そんなものは肩書としてしか存在しないと考えた方がよい。日本という『村』の中だけの慣習にすぎません。しかし、こうした一般性がどうしてこれほど普遍性だと信じられてしまうのか。」
 
ここは非常に大事なことをおっしゃっていると思うのだけど、私には難しすぎる。「一般性」と「普遍性」は、どこでどういう区別があるのか。
 
養老さんもちょっと手を焼いていて、「おっしゃることを正しく理解しているかどうかは別として」と、話題を横に滑らす。

「養老 たとえば解剖なんて半端な学問で、あんなものは科学じゃないって意見はしょっちゅうあったわけです。〔中略〕仮説を立てて実験するのが科学だ、といつも言われた。解剖なんてスルメを見てイカがわかるかって言われるから、お前らこそイカからスルメを作っているんじゃないかと、今では言い返すんです。そこらへんのところが、私が東大にいる間に一番ひっかかったところですね。」
 
お二人の話は嚙み合っていないが、面白いことは面白い。

もっとも養老さんの、「お前らこそイカからスルメを作っているんじゃないか」というのは、考えてみれば、時間的順序でいうと、それはその通りなのだけどね。
 
ほかにもアメリカとイギリスの英語を比較した、養老さんの発言がある。

「アメリカの論文は要するにこれは電報じゃねえかっていうもので、イギリスの論文はやっぱり文学ですよね。必ずどこかひねってある。そこがなんともいえない味なんです。解剖は古い学問ですから、当然ひねってなきゃ面白くない。」
 
これも東京大学社内報の一例で、東大の中でこれを聞いていると、なるほどと膝を叩いて頷けるのだが。

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