宇佐見りんを「推す」――『推し、燃ゆ』(3)

ファンを殴った推しは、その後ライブコンサートの前に、結婚して芸能界を引退するという宣言をする。脱退ではなくて、グループのメンバー全員も解散するという。

「とにかくあたしは身を削って注ぎ込むしかない、と思った。推すことはあたしの生きる手立てだった。業(ごう)だった。最後のライブは今あたしが持つすべてをささげようと決めた。」
 
ここからはクライマックス。コンサートを描写する、飛び跳ねるような文体もさることながら、ここではそのコンサートが「あたし」にとって、何を意味するかを正確に書く。

「モニターでだらだら汗を流す推しを見るだけで脇腹から汗が噴き出す。推しを取り込むことは自分を呼び覚ますことだ。諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつぶした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。」

「あたし」にとって推しのいない人生は、余生だった。

そのライブが終わっても、「あたし」は「成仏できない幽霊みたいに」、ピリオドが打てない。
 
そこで「あたし」は、ある行動に出る。バスに乗り、何度も迷って延々歩き、推しのマンションに行ってみる。

「ごく普通のマンションだった。名前は確認できないけれど、おそらくネットに書かれていたものと同じ建物だろう。ここで何をしようと思っていたわけではなかったあたしは、ただしばらく突っ立って、そこを眺めていた。会いたいわけではなかった。」
 
そのとき「ショートボブの女の人が、洗濯物を抱えてよろめきながら出てきて、手すりにそれを押し付けるようにし、息をつく。」
 
それが推しの、彼女かどうかはわからない。そういうことは関係がない。

「あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。」
 
これからも、引退した推しの現在を見続ける人が、確実にいる。

そう気づいた後、「あたし」は次のステージに移る。

「もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない。推しは人になった。」
 
しかし次の段階は長い道のりである。

「這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
 二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。」
 
その後にどんな道が待っているのか。いろんなところを這いつくばりながら、どんな世界を見せてくれるのか。

しかし私は、這いつくばっていた主人公が、ある日突然、力をためて垂直に運動するのを、新たな文体とともに、ぜひ見たいと思っている。
 
これは、新しいステージに移った「あたし」を見たい、ということではない。そうではなくて、小説の構造自体が形而上的に、垂直に動くところを見たいのだ。
 
日本の作家では、川上未映子以外にほとんどいない、そういう運動をする小説作品をぜひ読みたい。

(『推し、燃ゆ』宇佐見りん
 河出書房新社、2020年9月30日初刷、2021年2月14日第13刷)

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