一つ、謎が解けた――『怠惰の美徳』(1)

すこし前のブログで、中公文庫の『漱石先生』を取り上げた。「誰が編纂したのか?」というタイトルである。
 
巧みな編集だが、編集者名が記されていないのは解せない、という趣旨だった。
 
するとほどなく、編集者・河野通和氏と電話で新年の挨拶を交わしているときに、『漱石先生』は中公の社員の編集で、だから表立って編者名を立てなかったんだろう、という話になった。
 
河野さんは、今は「ほぼ日の學校長」をやっているが、少し前までは新潮社の『考える人』の編集長であり、その前は中央公論の編集総責任者であった。
 
だから中公の人事にも詳しい。それによると『漱石先生』は、文庫編集部員のОさんの手になるものだという。
 
しかし社員がそんなことをしても、説得力がなくて企画が通らないだろうというと、それが、Оさんは中公文庫の編集長なので、自分で企画を通せるんだという。
 
参ったなあ、そんな手があったのか。
 
聞けばОさんは途中入社で、河野さんは定年を前にして中公を辞めたので、Оさんとはわずかの間しか重なっていない。
 
河野さんが辞めるときには衝撃が走ったから、Оさんもびっくりしたろう。
 
以来、河野さんは、Оさんの作った中公文庫は、かならず目を通すようにしてきたという。
 
それは例えばどんなものかと聞くと、少し前に出た本では、梅崎春生『怠惰の美徳』(荻原魚雷・編)があると言う。
 
さっそく読んでみよう。
 
梅崎春生は20代前半の頃、夢中になったものだ。『桜島』『日の果て』『ボロ屋の春秋』『春の月』『砂時計』『幻化』、どれも心の中に染み渡ってくる、何とも言えないおかしみがあった。
 
この本は編者に、荻原魚雷を立てている。それもまた、あまりにドンピシャで可笑しい。
 
この本はⅠ部とⅡ部で構成されており、Ⅰ部は随筆、Ⅱ部は短篇小説である。
 
Ⅰ部の随筆は、面白いことは面白いが、でもそう面白くなかった。なんだかはっきりしない言い方だが、でもそういうことなのだ。梅崎春生は、怠けることの美徳を正面から書いた。戦争中または戦後すぐに、「怠惰の美徳」を書くことには、はっきりした意思が要ったろう。
 
しかしこれを今になって読むと、こういうものは本の中にも、すでに一つの生き方として存続している。梅崎春生はその元祖かもしれないが、今読むとやっぱり古いのだ。
 
ではⅡ部の短篇小説群はどうか。これは素晴らしかった。

そのころ私は大学を出て筑摩書房に入り、しかしすぐに会社は倒産した。そのころが無理にも思い出されて、脂汗が出た。

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