どちらから見るか、による――『「その日暮らし」の人類学――もう一つの資本主義経済』(2)

最初に出てくるのは、ダニエル・L・エヴェレットの『ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房)である。
 
小川さやかはこれを、Living for Today(その日その日を生きる)の究極と見なすが、そしてそれはそうかもしれないが、『「その日暮らし」の人類学』として、欧米・アメリカや日本をはじめとする、先進資本主義に対峙するのは無理である。
 
ピダハンは、アマゾンの奥地に暮らす狩猟採集民。道具をほとんど作らず、使う言葉に過去や未来が含まれない。つまり直接経験だけが、言葉としてやりとりされる。
 
アマゾンの奥地に入った伝道師は、果ては無神論者になり、伝道師をやめるのである。これはまあそうだろうな。だって、過去も未来もないところでは、千年王国の福音をどう説いていいか、分からないじゃないか。
 
これはこれで実に面白いが、私たちが、現代人の暮らしのオールターナテイブとして、Living for Todayの典型として上げるのは、とんでもなく無理がある。

とはいえ、日常を相対化するのに、これほど強烈な反世界像をもってくるのは、なかなかのことだ。

「重要なことは、未来や過去を前提とした生産主義的な生き方は普遍的なものではなく、またそのような生き方は当事者たちにとって必ずしも『不幸』で『貧しい』ものではないということである。」
 
そういうことだけは、頭の片隅に入れておいていい。
 
そこでタンザニアの話になる。タンザニアでは、農業・漁業を除いては、仕事を頻繁に取り替えるのは、ごく普通のことである。
 
一例として、長年著者の調査助手を務めているブクワ(39歳)を取り上げる。
 
ブクワは直近6年間でも、建築業、サービス業、零細製造業、商業など、多くの業種を経験してきた。

その経歴を見ると、「収入の補填やリスク分散を目的になされる『生計多様化戦略』も個人単位・世帯単位の両方で実践されている。個人単位の生計多様化とは、平たくいえば、『一つの仕事で失敗しても、何かで食いつなぐ』戦略で……世帯単位の生計多様化とは、『家族の誰かが失敗しても、家族の誰かの稼ぎで食いつなぐ』を可能にするものである。」
 
いつてることはもっともらしいが、日本の場合でいえば、底辺の家族が、あわせて何とか食いつないでいる状態というのと、どこが違うんだ。

ひょっとすると、小川さやかは、そういう日本の家族を、よく知らないのではあるまいな。エリート・サラリーマンとその妻を典型に、日本人のひな型を作っても、それはもう二、三十年前の幻だ。
 
翻ってタンザニアは、資本主義のまだ最初の段階で、産業が発達していないために、ブクワは次々と職業を取り換えざるを得なかった、ということではないのか。

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