村上春樹「訳者あとがき」の謎――『「グレート・ギャツビー」を追え』(2)

第二章は、カミーノ・アイランドで書店を経営する、ブルース・ケーブルが主人公である。
 
書店といえば、いまはアマゾンが全盛を極めていて、あとはチェーン店が少し、それ以外は、ほとんど見る影もない。

「今では人はインターネットやアマゾンを使って、自宅から本を注文する。この五年間で七百もの独立系書店が店仕舞いをした。儲けを出しているのはほんの一握りの店だけだ。」
 
ケーブルの独立系書店「ベイ・ブックス」は、その一握りの書店だった。
 
彼は、作家がかならず新刊のツアーで訪れて、サイン会をする店を作りあげた。

また彼の父が生前、秘かに集めていた作家の本を、こっそり遺産をごまかして、稀覯本の核を作った。

「それらはすべて初版本で、うちのいくつかには著者の署名も入っていた。ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ22』(1961)、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』(1948)、ジョン・アップダイクの『走れウサギ』(1960)、ラルフ・エリソンの『見えない人間』(1952)、ウォーカー・パーシーの『映画狂時代』(1961)、フイリップ・ロスの『さようならコロンバス』(1959)、ウィリアム・スタイロンの『ナット・ターナーの告白』(1967)、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』(1929)、トルーマン・カポーティの『冷血』(1965)、J・D・サリンジャーの『キャツチャー・イン・ザ・ライ』(1951)。」
 
この中には、村上春樹が訳し直して、再びその名を高からしめたものもある。
 
僕でさえも、ラルフ・エリソンの『見えない人間』と、ウィリアム・スタイロンの『ナット・ターナーの告白』、そしてウォーカー・パーシーの『映画狂時代』以外は、みな読んでいる。
 
ある時期、海外文学に夢中になったことがあれば、ごく普通のこと、署名を書き写していても、胸がいっぱいになる。
 
しかし、こういうことを読みだしたら夢中になるのは、本筋のミステリーとは、ちょっと違うような気がしないでもない。
 
第三章の主人公は駆け出しの小説家、マーサー・マン。彼女は、5年前に『十月の雨』という長編小説、続いて『波の音楽』という短編集を書き、以後は鳴かずとばずである。

彼女は学生時代のローンを抱え、執筆にも行き詰まり、金に大変困っている。
 
そこで、よくわからない組織に雇われて、「ベイ・ブックス」のブルース・ケーブルに近づいてゆく。
 
どうやら巡り巡って、フイッツジェラルドの長編5作の原稿は、彼が持っているらしいのだ。
 
しかし売れない女性作家と、魅力に富む独立系書店の店主である。話が、艶っぽい方面も含めて、もつれない方がおかしい。

こうして議論の話題は、アメリカの出版界そのものに波及してゆくのだ。

嗚呼、フイッツジェラルドの行方不明の原稿はどこへ、だね。

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