意気込んではみたけれど――『2020年 マンション大崩壊』(3)

さらに問題はある。この本では「第5章 タワーマンションの将来」で問題になっているが、これはタワーマンションに限った話ではない。それは住民の人種と年収である。
 
この本は2015年の刊行なので、このときはタワーマンションで集中的に、これが問題になったのだろう。
 
このころタワーマンションの高層部は、ほとんど中国人が買っていたのだという。これは住居としても、不動産投資としても魅力的に映ったのだ。
 
こういうことを前提に、修繕積立費を積み立て、共同体であるマンションを、知恵を出し合い、よくしていこうと総会をやることに、どんな意味があるだろうか。
 
この本にはまた、総会をやろうとしたら、なぜそれを日本語でやらなければいけないのか、なぜ中国語ではいけないのか、という疑問が出て、紛糾したことが書かれている。
 
もう一つの年収による問題は、とくにタワーマンションでは、高層階と低層階では、販売価格が3割ほど違っているという。もちろん眺望鮮やかな高層階の方が高い。
 
そういう住民が一緒になって侃々諤々、議論をするのは、考えただけでも難しそうだ。
 
私たち夫婦が、これからマンションを買ってそこに住むのは、賃貸の家賃と比較して、まあトントンとしよう。問題は、私や妻が無事天寿をまっとうして、この世から去った後だ。
 
著者はここで一つの例を挙げる。
 
親が40年も暮らした後、名義を引き継いだとしても、リニューアルするには300万はかかる。それに40年前には、普通のマンションでは、エントランスにオートロックはない。そんなマンションは、今では誰も買い手がつかないだろう。
 
しかし彼はここに住んでいなくても、マンションの共同体の一員として、永遠に固定資産税、管理費、修繕積立金を払い続けなければならない。
 
私が子供に、そういうことを背負わせるのは、嫌である。子供たちだって、嫌に決まっている。
 
そういうわけで私は、マンション広告を前に、シュリンクしたまま固まっている。

(『2020年 マンション大崩壊』牧野知弘
 文春新書、2015年8月20日初刷、9月15日第3刷)

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