追憶の陰翳――『一人称単数』(5)

最後の短篇「一人称単数」は、現在形で書かれている話。気まぐれで、めったに着ないスーツを着た夜に、奇妙な体験をする話だ。

「それは自分の経歴を粉飾して生きている人が感じるであろう罪悪感に似ているかもしれない。法律には抵触していないにせよ、倫理的課題を含んだ詐称だ。こんなことをしていてはいけない、結局はろくなことにならないと思いつつも、やめることができない、そういう類の行為がもたらす居心地の悪さだ。」
 
そして、その通りのことが起きる。
 
一度も入ったことのないバーで、50歳前後の女性から、猛烈に絡まれるのだ。
 
もちろん「私」は、会ったこともない女だ。

「私」は読書中の本に、しおりを挟み、彼女と向き合った。

「『そんなことをしていて、なにか愉しい?』と彼女は尋ねた。
  〔中略〕
『そんなこと?』と私は聞き返した。
『洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること』」

「私」は、何が何だかわからないものの、相手の女性が、猛烈な悪意を持っていることは分かった。
 
結局「私」は、ほうほうの体でバーを後にするのだが、その時にはもう、街は見知らぬ色に染まっていた。
 
この短篇集は、どれも実に面白かった。
 
ただ、最後の1篇を除いては、どれも、遠い追憶を思い返している。村上春樹も歳をとったか。
 
しかしもちろん、それぞれは違う色合いで、違う味付けになっている。「謝肉祭(Carnaval)」の結びの言葉が、そういうことの意味合いを教えてくれる。

「もしそんなことが起こらなかったとしても、僕の人生は今ここにあるものとたぶんほとんど変わりなかっただろう。しかしそれらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる。森の木の葉を巻き上げ、薄の野原を一様にひれ伏させ、家々の扉を激しく叩いてまわる、秋の終わりの夜の風のように。」
 
そういうわけで、記憶を遡って、それぞれの短篇を書いた。
 
もちろん歳を取ったから、というわけではない(いや、そういうこともあるかもしれないけれども)。
 
しかし最後の、書き下ろしの短篇を読めば、今現在の居心地の悪さを痛烈に意識している。それはそのまま、作家という存在が、日常を暮らしてゆくことだ。

(『一人称単数』村上春樹、文藝春秋、2020年7月20日初刷)

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