時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(2)

おタクの次は、ダイエットである。中島梓は最初この本を、「ダイエット症候群」というタイトルで構想した。

「自分自身かつてはたしかにダイエット症候群であったし、そこからどうにか脱出するのに多大の苦労と年月を要しもし、またいまなお何かの誘因さえあればたちまちもとの木阿弥に戻って発症しかねない私」――しかし、夫の今岡清によれば、これは終生、克服できなかった。
 
だからこの章は、実は欺瞞に基づいて書かれている。それを前提として読んでいくと、相当に痛々しい。

「ダイエットが女性たちに約束している手形はこうである――あなたももし、この社会の『いい子』のメンバーでいたい、社会からかわいがられる優等生でいたいのならば、私のいうことをきいて、私の価値を信じる事だ。体重は軽ければ軽いほど偉いのだ。そしてその唯一絶対の価値のためにはどんな努力でも払わなくてはならない。」
 
こんなことを信じる多数の人が、いるんだろうか。これは、異性にモテる、モテない、という範疇のことではない。

「もしその努力が成功したあかつきには、お前はすべてを手に入れられるだろう。すべての愛情と崇拝と永遠に勝者として社会のもっとも成功したメンバーとして、エリートとしてお前は社会に迎えられるだろう。〔中略〕お前のもっともほしがってやまなかったもののすべてが、ただ『ダイエット』をするだけで。
 このような手形を信じないでいられる少女がいるだろうか。」
 
もちろんいる。というより、こんなことを、信じる人の方がおかしい、と思わないだろうか。
 
10代後半の思春期は、頭でっかちになりすぎていて、どのみちどこかが、いびつなのだ。自分のことを考えたって分かる。それはしょうがない。
 
それを、人生全般に敷衍して説きおこし、そんなことをしていては大変だぞ、というのは、体のいい脅しである。
 
それが、たんなる脅しではないのは、中島梓自身が、それを信じていたからだ。

「現代社会の選別は私たちをガス室に送りこそしないが、しかし精神的にはまったく変わらない状況に女性たちを置く。〔中略〕
女性、いや、もはや女性だけではない、男性も、この社会の基本原理に従い、この共同幻想に与している個人はすべて、もはや人間であるのではなく、商品として存在しているのにすぎない。それがこの社会に続出しているさまざまな異変、異常の真の原因であるのは、すでに明らかである。」
 
素晴らしい構想力と文章力で、読んだ当座は、まったくその通りと思ったが、30年も経って、憑きものが落ちてしまえば、後には、中島梓の震えて萎れる肩を、遠くに望むばかりだ。

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