絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(6)

「私の奥さん」はまた、芝居の世界にも手を出した。栗本薫は、原稿を書きさえすればよかったが、中島梓は、そうではなかった。
 
初めは、脚本を提供するだけだった。
 
それが徐々に、脚本だけではなく、製作、演出、果ては音楽の担当もするようになった。

では、「奥さん」はどうして、芝居に取り憑かれていったのか。

「魅力のひとつは、自分のイメージの中にあった世界が劇場の舞台の上で現実のものとして視覚化され、動き出すことにあったようです。そしてもうひとつは、自分のいるべき場所が確保されること、にもあったのだと私は思います。
 いるべき場所の確保というのは、私の奥さんにとって、とても大きな問題であり続けました。」
 
ここが不思議なところだ。「私の奥さん」はどうしても、本来の居場所を見つけることができなかった。これは本当に不思議なことだ。
 
ベストセラー作家として、押しも押されもしない存在になっても、また子供を得ても、そんなことでは、確たる居場所は、確保できなかったのだ。

「ここは自分がいてよい場所なのか、ここは自分を疎外しているところなのではないか……その思いは絶えず奥さんにつきまとい、作品にもその影響は強く出ています。奥さんは芝居に出会い、自分のいる場所をそこに見つけたように感じたのです。」
 
しかし芝居にのめり込むと、大変である。
 
まず膨大な時間がとられる。最初は子供の世話を、ベビーシッターに任せていたのだが、それでは賄えず、著者が早川書房をやめて、家事を担当することになった。子供に朝ご飯を食べさせ、弁当を持たせて、学校に送り出したのである。
 
しかし「奥さん」の苦闘は、それだけではなかった。製作も担当したので、莫大な借金を背負うことにもなった。
 
そういう家庭環境の変化から、ストレスによって、家の中が次第に荒んでいく。

けれども著者が、「奥さん」から離れていくことはなかった。

「私が感じていた奥さんのイメージは、誰もいないがらんとした広い家のなかで、一人で泣いている赤ん坊でした。そして、私はその赤ん坊を助けなければいけないという強烈な気持ちを持つようになってしまいました。」

とはいえ、夫婦の危機は、かなりのところまで行った。「奥さん」は、真剣に離婚を考えたようだ。

「原因がなんであれ、すぐに泥酔してしまうような夫と、しかも絶えず怒りをかきたてられ平穏な日常を送ることも出来ない夫と暮らさなければいけない理由はないでしょう。奥さんのなかの成熟した大人は、それが正しい選択だと思っていたのではないかと思います。」
 
けれども、別れるところまではいかなかった。

「たぶん私たちの生活はよるべのない赤ちゃんである奥さんと、それを拾い上げてしまった私という構図が基本にはあったのだといまでも私は思っています。」

「奥さん」は、一人ぼっちで、家の中で泣いている状態には、戻りたくなかったのだ。

「奥さん」を亡くして、時が経つうちに、著者は、「私はなんという人と一緒に暮らしていたのだろう」という思いが、強くなっていく。著者は「奥さん」を、不世出のクリエイターとして、再認識するようになっていく。

「私の奥さんという人は、四百点を超える著作を書き、二十本ものミュージカルに携わり、ミュージカルのための数百曲の曲を作詞・作曲し、没後に四百字詰め原稿用紙にして二万枚以上にものぼる未発表原稿を残した栗本薫・中島梓という存在」だったのだ。
 
その未発表原稿の中に、「ラザロの旅」という一篇があり、そこにこんな言葉が記されている。

「読者がいるから書くんじゃない。註文があるから書くんじゃない。書きたいことがあるから書くのでさえない。そんなつまらぬ理由で書くものか。〔中略〕節操なんかない。恥もない。そんなものがあるのは人間だ、だが私は人間でさえない。私は《書キタイ》という妄執、そのものだ。」
 
やっぱり栗本薫・中島梓のものを、何か続けて、読まないわけにはいかないな。

(『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』今岡清
 早川書房、2019年4月25日初刷)

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