村田沙耶香の短編集。この本は三度読んだ。
最初は「生命式」「素敵な素材」「素晴らしい食卓」と、並んでいる順に読み、真剣に読んだのはそこまで。あとは流し読みした。
最初の三つが、広い意味での人食いの話で、かなり強烈だった。
それ以下の「夏の夜の口付け」「二人家族」「大きな星の時間」「ポチ」「魔法のからだ」「かぜのこいびと」「パズル」「町を食べる」「孵化」は、奇抜なところもあるが、要するに短編集に仕立て上げるために集めたもの、というふうに見ていた。
でも、喉に小骨が刺さったようで、どこかおかしい。それでもう一度読んだ。
もう一度読んで、冒頭の三作と、それ以下の作品は、緊密につながっているのではないか、と思った。
それで結局、もう一度、つまり都合三度読んだ。
もともと村田沙耶香という人は、『コンビニ人間』『地球星人』を読んだことがあるだけで、『地球星人』は面白かったけど、好きな作家というわけではない。もちろん嫌いではない。
私は、現代小説が好きだとは言っても、今となっては古いタイプの小説、つまり梅崎春生、吉行淳之介から、せいぜい村上龍、村上春樹までの、文章に彫琢を凝らしたものか、文章が皮膚呼吸をしているようなものが好きなのであって、たとえば村田沙耶香や松田青子などは、それに比べれば、肌合いが違っていて、ざらざらして、ぴたりと合うということはない。
しかし、それでもなお、この短編集は気にかかる。
というわけで、最初から読んでいくことにしよう。
「生命式」は「葬式」と対になる言葉で、「葬式」の代わりに「生命式」を行なう。
なぜかというと、あるときから、地球上の人口が急激に減り、もしかすると人類は本当に亡びるんじゃないか、という不安感がつのり、その不安感は、人口が増えるということを、正義にしていった。
「30年かけて少しずつ、私たちは変容した。セックスという言葉を使う人はあまりいなくなり、『受精』という妊娠を目的とした交尾が主流となった。
そして、誰かが死んだときには、お葬式ではなく『生命式』というタイプの式を行うのがスタンダードになった。」
なかなか快調である。そんなに無理をしなくても、そういうこともあるかもしれないと思わせる、ような気がする。
「生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行うというものだ。死から生を生む、というスタンスのこの式は、繁殖にこだわる私たちの無意識下にあった、大衆の心の蠢(うごめ)きにぴったりとあてはまった。」
どうです。いかにも村田沙耶香でしょう。
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