あのころは希望に燃えて――『ルネッサンスー再生への挑戦ー』(2)

ゴーンがまず最初に、独自なこととしてやったのは、「クロス・ファンクショナル・チーム」の作成である。これはミシュラン北米の、経営委員会の席で誕生した、
 
要するにこれは、狭い範囲で仕事をしている人間、営業なら営業、開発なら開発の人間を、部門の壁を越えて、一緒に議論する場を設ける、ということである

「彼らにはそれまで本当の意味で一緒に仕事をした経験がなかった。過去にミシュラン・グループがこのようなやり方で問題に取り組んだことはなかった。しかし、私はこれこそ、会社が持つ思いもよらない能力を引き出す唯一の方法だと確信した。そして、マーケティング、販売、R&D〔研究開発を行なう部署〕、製造という異なる機能を担う人々をひとつに集めたCFT〔クロス・ファンクショナル・チーム〕を結成したのである。」
 
これはよく考えると、あるいは、よく考えなくとも、縦の系列を、横に横断して、そういうチームを作ることで、こと足りると思える。

しかし、実はそうではない。クロス・ファンクショナル・チームの独自の機能は、あくまでゴーンに特化した、属人的な、この人においてだけ発揮できる、特殊な機能なのだ。

「私には、CFTが、行き詰った状況や力不足の状況を打開する唯一の方法に思えた。さまざまな部門の人々を集めて特定の課題――例えばコスト削減、品質向上、リードタイム短縮、収益改善など――を与えさえすれば、あとは彼らが大いに力を発揮するのを見守っているだけでいい。」
 
ゴーンが参加する人を選び、ゴーンが課題を出し、その議論の一部始終を、ゴーンが見守っている限りは、そういうことなのだ。

次のルノーに移籍したときには、その直前に少し考えている。

「私にはフランス政府がほとんど実権を握っているような企業に入ることなど思いもよらなかった。政治や官僚の介入によって、戦略や計画をめぐる意思決定の権限が拡散し、希薄になり、時には妨害されるような状況では、とても仕事はできない。しかし、ルノーの場合、国は依然として最大株主ではあったが、保有比率を下げる時期、あるいは完全に撤退する時期がいずれ来ることが予想できた。」
 
末尾の一文は、その後の経緯を見ると、何とも言えず皮肉な気持ちになる。
 
ゴーンは、ルノーの最大の株主であるマクロン大統領に、屈服するかたちで、日産、ルノーの合併を承諾した。それでなければ、両方の会長に君臨することはできなかった。
 
けれども、マクロンによる合併を承諾したために、ゴーンの言い分では、日産側がクーデターを起こし、彼はその地位を追われたのだ。
 
ゴーンは合併に、最後まで抵抗した。それは、いくつもの国で暮らしたゴーンであればこそ、そのアイデンティティーを逆に大事にしたのだ。
 
それは各国の企業においても、まったく同じことだ。日産とルノーは、だから合併や統合ではなく、アライアンス(提携)でなければいけなかった。
 
昨日、インターネットのニュースを見ていたら、日産とルノーの合併についてはご破算とすることにし、今後話し合うことはない、という結論が出たそうである。
 
マクロンが、今回の件で、どういうふうに立ち回ったかはわからないが、日産もルノーも、ゴーンなき後は赤字で、そのうえコロナが後を襲っている。
 
ゴーンは、ここまでの経緯をどう見ているだろうか。
 
ゴーン流のアライアンスで、日産、ルノー、三菱自動車の舵取りをしていれば、この急場、どんなことになっていたか、とつい想像してしまう。

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