24人の作家論――『偏愛的作家論』(2)

三島由紀夫の二律背反の根源は、澁澤龍彥によれば、以下の通りだ。

人生には何の目的もないから、せめて生きている限りは、自我実現の目標を立て、おのれの生の痕跡を、歴史に残しておきたいというもの。
 
それに対し、人生には何の目的もないから、自我なんてどうでもよく、何か一つの目的を設定して、信じるにせよ信じないにせよ、それに向かって突っ走り、自分を滅ぼすと同時に、世界をも滅ぼしてしまいたい、という考え方がある。
 
三島は作家であるから、作家としての仕事を、というのはつまり、前者の考え方を、完全に放擲したとは考えられない。たとえ最後は身を滅ぼしたとしても。

「だいぶ荒っぽい総括で恐縮であるが、現在の三島由紀夫氏の逢着している二律背反の根源は、ざっと以上のごとき構図のものであり、何事をも洞察している批評家的明敏をそなえた作家としての三島氏は、先ほど私が述べた二つの立場のうちの前者のそれに拠りながら、どれだけ後者の立場に文学的に接近しうるかという、いわばおのれの作家的生命を賭した危険な実験を行いつつあるわけである。」
 
これは明晰極まる三島由紀夫論といえよう。こうして三島は、ついに破滅したのだ。
 
澁澤はそこに、ダメ押しのように、もう一つ付け加える。

「ただ、以前から三島氏が強く惹きつけられていた、芸術のそれとはちがった領域、そこでは芸術がまったく不要になるような領域が、ついに海のように氾濫を起して、かつて三島氏が大事に守っていた古典主義の領土を滔々と浸している、というだけのことであろう。」
 
そういうものが、三島由紀夫を浸しているというのだから、僕が究極、興味をなくしたのは、むべなるかな、というものだ。
 
それにしても、これほど明晰な三島由紀夫論は、読んだことがない。
 
あとはいくつかアトランダムに取り上げていこう。
 
澁澤は、旧制高校を出たばかりのころ、「モダン日本」という出版社で、アルバイトをしたことがある。
 
そのときの『モダン日本』の編集長は、吉行淳之介であった。まだ24歳という若さだった。
 
二人は仕事が済むと、新橋や有楽町でよく飲んだ。澁澤はそのころ、ポール・モーランやシュペルヴィエルを読むことを勧めた。
 
吉行は梶井基次郎や牧野信一、あるいはチェホフ、ゴーゴリ、シュニッツラー、モーパッサンといったところを、細かい心理や情緒のニュアンスを楽しみながら、読んでいた。
 
しかしここでは、文学とは関係のない一場面を引いておこう。

「私の瞼の裏に焼きついている、若き日の吉行さんの酩酊したすがたの一つは、さる有楽町の二階の飲み屋の入口から下の道路へ通じる、木造の階段の手すりに、いきなり彼がうしろ向きに跨がって、子供がよくやるように、するすると下へすべり降り、あっけにとられて見ている私を尻目に、ぽんと地面に跳びおりると、『どうだ、うまいだろう、きみもやってみろよ』というような笑顔を浮かべて、上にいる私を見上げた時のそれである。」
 
それはいかにも屈託のない、爽快で無邪気な、感じのよいものだった。

「私は、ひょっとすると吉行文学の原点がここにあるような気もするのである。」
 
これは実に鋭い。

吉行文学については、男女の機微を描いて、まるでスポーツ選手のようである、という中村光夫の評が有名だが、澁澤龍彥のこちらの方が優れている。

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