24人の作家論――『偏愛的作家論』(1)

『龍彥親王航海記』を読んだあと、続けて『偏愛的作家論』を読みたくなった。
 
これはずっと昔に読んだことがある。

調べてみると、初版は1972年6月に青土社から出ている。その後、増補版が1976年8月に、新訂増補版が1978年12月に、同じく青土社から出ている。
 
そして文庫版として、福武書店から1986年11月に、福武文庫が消滅してからは、河出文庫で、1997年7月に出版されている。
 
考えてみれば、一冊の本としては、増補はされているようだが、驚くべき生命力である。
 
最初に僕が読んだのは、時期から考えて、72年6月の初版本のときだと思う。このころは澁澤を熱心に読んでいた。仏文の学生だった時期だ。
 
しかし今では、『偏愛的作家論』と言われても、ほとんど何も浮かばない。それで読むことにした。
 
収録されている作家は24名。掲載順に石川淳、三島由紀夫、稲垣足穂、林達夫、瀧口修造、埴谷雄高、吉行淳之介、鷲巣繁男、野坂昭如、花田清輝、安西冬衛、泉鏡花、谷崎潤一郎、堀辰雄、日夏耿之介、江戸川乱歩、久生十蘭、夢野久作、小栗虫太郎、橘外男、岡本かの子、中井英夫、吉岡実、南方熊楠。
 
こういう並べ方が澁澤的であるし、また一時代の文学エッセイの典型でもある。
 
たとえば、「青年時代の伝記的な資料をみずから完全に抹殺し、虚構の生活のなかに自己の肉身を韜晦しているという点では、おそらく石川淳氏は、第一次戦後派の花田清輝氏と双璧をなすだろう」、という言葉。こういう文章がすらっと出てくるところが、澁澤の明晰さである。
 
この中では、何本かの三島由紀夫論が断然優れている。
 
僕は三島由紀夫が好きではない。とうぜん数多ある三島由紀夫論も面白くはない。
 
しかし、澁澤の三島論は良かった。

「私のなかの『文学者』は、私のなかの『市民』とつねに敵対している。あなたのなかの『文学者』は、あなたのなかの『市民』とつねに敵対しているべきだろう。(中略)この『文学者』という言葉は、おしなべて『超越を志向するもの』という言葉に置き換えてもよい。」
 
最初に、自分や三島が立っているところを、明確にしておいて、そこから話を進めていく。
 
だから「三島氏の掲げるイデオロギーと、切腹という異様な自殺の方法とが、諸外国にどんな悪影響をあたえるか、といったような政府与党的な配慮には、私はまったく興味がない。」
 
三島のそういうところには、興味はないと言っている。近しいところで三島を見続けた人にとっては、だから虚飾を剝ぎ取った、生身の三島が浮かび上がってくるのだ。

「絶対主義と相対主義の相剋、そのイタチごっこ、そのイロニーにこそ、ロマン主義文学としての三島文学の本質があった。」
 
これだけでは、分かり辛いかもしれない。このタイトルは、「『天人五衰』書評」なので、それを例に引こう。

「言語表現の世界と現実世界との本質的差異をあえて無視して、さきほどの『存在しないものの美学』に即していうならば、ニヒリズム=相対主義=『カラカラな嘘の海』、ヒロイズム=絶対主義=『豊かな海のイメージ』という、相対立する等式が成立するであろう。」
 
そういう二項対立のイタチごっこなのである。
 
しかしこれでも、なお分かり辛いかもしれない。

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