解釈はどちらに?――『月日の残像』(2)

山田太一は、今村昌平学長の申し出を、断ったのか、承諾したのか。
 
田中晶子は、山田太一と特に親しくはないが、そしてかなり年の差はあるが、パーティーで会ったりすれば、シナリオライター同士、挨拶をする間柄である。
 
また、山田太一が教えるはずであった横浜放送映画専門学院は、ここに書いてあるように、新百合ヶ丘の日本映画大学になったが、ここでも田中晶子は、ついこの前までシナリオの書き方を教えていた。
 
つまりいろいろな意味で、環境をよく知っている。
 
その人が、山田太一は結局、この仕事を断っている、というのだ。そういうところは、絶対にゆるがせにしない人だ、という。
 
僕はしかし、山田太一は引き受けている、と思うのだ。
 
山田太一は、前回も書いたとおり、事件のあった帰りの電車の中で、テレビへの思いが、自分も初期からすると、ずいぶん変わってきたと思い、高名なシナリオライターの「『あのテレビに対する反感は分かるよなあ』と思いはじめていた。」
 
もちろん今村昌平の人物についても、その前に過不足なく書かれている。

「一九七四年、先日亡くなられた今村昌平さんから電話をいただいた。いうまでもなく『豚と軍艦』『赤い殺意』『にっぽん昆虫記』『復讐するは我にあり』の名監督である。と、こんな註釈さえ礼を欠くような気になる」。
 
つまり、シナリオのゼミを受け持つことについては、いちおう納得のいく理由が挙げられているのだ。ここで、今村昌平からの話をご破算にするのは、言ってみれば、大人の態度ではない。
 
しかしそれでも、田中晶子は、山田太一はこういうときにこそ牙を剝く人だ、というのだ。それはそれで、じつに魅力的な人間ではあるが。
 
ここまで来たら、いっそ山田太一に直接聞いてみればいいじゃないか、と誰でも思うだろう。まして山田太一と田中晶子は、面識があるのだから。
 
しかし、そうはいかないのだ。

山田太一は、2017年に脳出血を患い、今は老人ホームに入っているという。娘さんの話では、脚本家としてはもう誰にも会いたくないという。
 
これでは、「土の話」に出てくるシナリオを受け持つ話は、実のところどうなったでしょうか、とは聞けない。
 
それにこの話は、山田太一を鏡として、じつは僕と田中晶子に、返ってくる話なのである。
 
僕は結局、社会の中で(というのも変な話だが)暮らしてきた。そこで飯を食べてきた。どんなに尖ったことを言ったり書いたりしても、その枠にはギリギリ踏みとどまってきた。
 
それに対して田中晶子は、社会をはみ出る、とは言わないが、自分一人で、孤独な自分の力で、決断を下さなければならなかった。
 
これは広い意味で、編集者と著者の関係の話ともいえる。もし僕が現役の編集者なら、著者の田中晶子の意見に、もろ手を挙げて賛同するだろう。そういうものだ。
 
いざと言うとき牙をむく、山田太一という人について、そこから田中晶子の、山田太一をめぐる人物論が始まる。
 
しかし僕は、もう編集者ではない。だからそこで、ささやかな抵抗をしたい。たとえ山田太一を、つまらぬ「大人」の領域に連れ込んだにしても。
 
しかしどうも書けば書くほど、田中晶子の山田太一論の方が、魅力的だな(でも変えないよ)。
 
ところで、山田太一が部屋に入ったとき、二人のシナリオライターがいた。一人は石堂淑朗で、「いや、まあ、ここへいらっしゃい」と、とりなすように言ってくれた。
 
ではもう一人の、喧嘩腰の高名なライターは、いったい誰だろう。それが最後まで、気にかかったままだった。

(『月日の残像』山田太一、新潮社、2013年12月20日初刷)

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