私もまた近似値、か?――『時間は存在しない』(6)

ふーん、でもねえ、アリストテレスとニュートンを、アインシュタインが統合して、その理論をカルロ・ロヴェッリが先まで推し進め、それを私が、ああだこうだと論評するというのは、なんとなく、というか、そうとう無理があるような気がする。
 
しかし、やってしまったものは、やってしまったもので、ともかく終わりまで行くことにしよう。

「時空は重力場である。〔中略〕世界はキャンバスの上に描かれた絵ではなく、キャンバスや層が重ね合わされたもので、重力場もそれらの層の一つなのである。重力場もほかの場と同様、絶対ではなく、一様でもなく、固定されているわけでもない。しなやかで、伸びたり、ほかのものとぶつかったり、押したり引いたりする。」

「時空は重力場」というのがよく分からないが、しかしこれでとにかく、伸び縮みする時空については、無理やりにでも、イメージが摑めたことと思う。分からなくても、分かったことにして、その先へ進もう。

「こうして時間は、空間の幾何学と織り合わされた複雑な幾何学の一部となる。これこそが、アインシュタインがアリストテレスの時間の概念とニュートンの時間の概念の間に見いだした統合なのだ。アインシュタインはその巨大な翼で一気に飛翔し、アリストテレスとニュートンがともに正しいことを理解した。」
 
そういうことだ。でも、この「そういうこと」の中に何が入るかは、よく分からない。
 
よく分からないなりに先へ進むと、今度は、これまでの相対論的な物理学の奇妙な風景に、空間や時間の「量子的な性質」を、考慮に入れることにする(なぜそういう性質を考慮に入れるかについては、特に注記はないのでちょっと不親切だ)。

「空間や時間の量子的な性質を調べる分野は『量子重力』と呼ばれていて、わたし自身もこの分野を研究している。科学者の共同体に広く受け入れられた量子重力理論はまだ存在しておらず、実験で裏付けられたわけでもない。わたしは科学者としての人生のほぼすべてをかけて、この問いの答えになり得るものを構築しようとしてきた。」
 
カルロ・ロヴェッリが、人生を賭けた探求がこれなのだ。

しかしそうすると、風景は謎めいてきて、ますます分からなくなってくる。
 
時間が量子化されると、それは粒状になって、「いくつかの値だけを取って、その他の値は取らない。まるで時間が連続的ではなく、粒状であるかのように。」
 
その粒である「量子」の最小の時間は、「プランク時間」と呼ばれていて、これはさまざまな定数を組み合わせれば、その値を簡単に計算できる、のだそうだ。
 
その計算の結果は、1秒の1億分の1の10億分の1の10億分の1の10億分の1の10億分の1の時間である。
 
別の言い方をすれば、計算によって、10のマイナス44乗秒という時間が得られる。

「プランク時間はひじょうに短い。今日実際の時計で計り得る時間よりはるかに短く、ここまで小さな規模になると、もはや時間の概念があてはまらなくとも驚くには当たらない。」
 
おいおい、そういうことかよ。「プランク時間」においては、あまりに短すぎて、時間の概念が成立しないのだ。
 
それなら過去と未来も、同じ理由で、存在できなくなる。

そしてこれが、物事の究極的な本質なのだ、とカルロ・ロヴェッリは言う。
 
ちなみに、プランク時間に見合う空間は、「プランク長」で、「この最小限の長さより短いところでは、長さの概念が意味をなさなくなる」のだそうだ。
 
そのプランク長は、1センチメートルの10億分の1の10億分の1の10億分の1の100万分の1である。
 
これも別の言い方をすれば、約10のマイナス33乗センチメートルになる。

「大学時代、まだ若かったわたしは、この極端に小さな規模でいったい何が起きるのか、という問いに夢中になった。」
 
まあなんにせよ、夢中になるのは、悪いことではない。

「この規模の世界で何が起きているのかを理解すること、それを自分の目標にすると決意した。時間や空間がそのありようを変える極小規模の世界、基本的な量子の世界に降りたときに、いったい何が起きるのか。以来今日までずっと、わたしはこの目標を達成しようと努めてきた。」
 
この極小の時間、極小の長さで、何が起こるか、それを見てみたい、あるいは見るのが無理であれば、体感してみたいというのが、著者の願いなのだ。
 
人はいろいろなことを望むものだ。でも正直、ちょっと言葉がない。

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