私もまた近似値、か?――『時間は存在しない』(4)

著者はまた、こんなことも言う。私たちに、普遍の「今、現在」はない、それは宇宙全体に広がっているものではない、と。
 
そういうことを問うのは、意味がない、と言うのだ。

「バスケットボール・リーグでどのサッカーチームが優勝したのかを尋ねるようなもの、ツバメがいくら稼いだか、音符の重さはどれくらいかを尋ねるようなものなのだ。」
 
すごい例えではある。

「現在」というのは、自分たちを取り囲む泡のようなものだ、その泡にどれくらいの広がりがあるのか、というと。

「それは、時間を確定する際の精度によって決まる。ナノ秒単位で確定する場合の『現在』の範囲は、数メートル。ミリ秒単位なら、数キロメートル。」
 
なるほど、時間によって「現在」の範囲が変わるわけだな。なぜ時間によってなのかは、わからないが。

「わたしたち人間に識別できるのはかろうじて一〇分の一秒くらいで、これなら地球全体が一つの泡に含まれることになり、そこではみんながある瞬間を共有しているかのように、『現在』について語ることができる。だがそれより遠くには、『現在』はない。」
 
うーん、全体がちょっとアホダラ経だが、字面を追って読めることは読める。しかし中身には、全然ついていけない。
 
はっきりしているのは、私たちが見ているものは、何も見ていないということだ。

「じつは、何らかの形態の宇宙が『今』存在していて、時間の経過とともに変化しているという見方自体が破綻している」、ということだ。
 
なるほどねー、……でも、そんなことがあるのかい。
 
だいたい私たちが、時間に関して、どこでもいつでも、同じ速さで流れている、と思い込んでいたのはなぜだろう、と著者は言う。
 
そういえば日本でも、江戸時代までは、昼と夜の長さによって、時間は伸び縮みしていたのではなかったか。

「自分たちが直接経験している時間の経過にもとづいて、時間がどこでも常に同じ速さで経過する、と考えるようになったのでないことは確かだ。では、このような考えはどこから生まれたのか。」
 
そもそも時間観念は、最初は昼と夜の交代だけだった。

「日周リズムは自然界の至る所に存在する。このリズムは生命に欠かせないもので、わたし自身は、地球上に生命が発生する際にも重要な役割を果たしたのではないかと考えでいる。おそらく、ある仕組みを動かすための振動の役割を果たしたのだろう。」
 
なんだ、よくわかっているじゃないか。それなら、時間は存在しないなどと、ふざけたことを言わないように。

「生命体には時計がたくさん詰まっている。分子の時計、ニューロンの時計、化学時計、ホルモンの時計と、その種類もじつに多様で、これらすべてが大なり小なりほかの時計と調和している。単一細胞の生化学にすら、二四時間のリズムを刻む化学的なメカニズムがある。」
 
そういういろんな時間があるけれど、いろんな時間を経験することと、「時間とはなんぞや」と問うのは、ぜんぜん違うことだ。
 
その最初の問いを立てたのはだれか。

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