私もまた近似値、か?――『時間は存在しない』(2)

まず簡単な事実から始めよう。

「時間の流れは、山では速く、低地では遅い。」
 
ここでは書いていることを、そのまま仰せのとおりとして、読み進めるほかない。ここで眉に唾をつけると、そこから先へ進めなくなる。

「二人の友が袂を分かち、一人は平原で、もう一人は山の上で暮らし始めたとしよう。数年後に二人が再会すると、平原で暮らしていた人は生きてきた時間が短く、年の取り方が少なくなっている。」
 
ほんとかね、と思わず言いたくなってしまう。でもこの話は、聞いたことがあるぞ。

「鳩時計の振り子が振れた回数は少なく、さまざまなことをする時間も短く、植物はあまり成長しておらず、思考を展開する時間も短い。低地では、高地より時間がゆっくり流れているのだ。」
 
これは今では、精度の高い時計で、正確に測定できる!
 
この話は、今を去ること50余年前に、学校の図書館で借りたガモフ全集のある巻に、こんなようなことが載っていた。
 
ロケットを飛ばして宇宙旅行をすると、信じられないことだが、そこに乗っている間だけ、時間はゆっくり進む。
 
だからロケットに乗って帰ってくると、まわりの人間は自分よりも、ずいぶん年を取っている。つまり私は、浦島太郎の状態になってしまう。

ところがどっこいそのときは、地球に帰ってくると、自分の肉体は、地球上の時間に合わせたものになるので、浦島太郎にはならない、そういう話だったような気がする。
 
時間が、場所と行為によって違うことを発見したのは、ガモフによれば、アインシュタインである。
 
この本にも、正確に測定する前に、時間の加減に気づいた人は、アインシュタインである、と出てくるが、一つだけ違う点がある。
 
50年前の本と違うのは、地球に戻ってくれば、時間のプラス・マイナスはチャラになる、ということだったが、今では地球上の基になる時間は、もうない。時間はそれぞれ、山の上と地上では、別個の時間を歩むのだ。

「この世界は、ただ一人の指揮官が刻むリズムに従って前進する小隊ではなく、互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークなのだ。」
 
恋人と待ち合わせをしているとき、お互いの腕時計の針は、ぴったり一致していないから、待ち合わせの時間に、ドンピシャで一緒になることはない、みたいな感じかね。
 
まあしかし、物理学の話を日常生活にたとえれば、すべからく頓珍漢な話になるのだが。
 
もう一度、過去と未来の話に戻そう。

「この世界のメカニズムの襞(ひだ)の何が、かつて存在した過去とまだ存在していない未来を分かつのか。わたしたちにとって、なぜ過去はこれほどまでに未来と違うのか。」
 
こういう疑問の立て方は、おかしいでしょう、どうにかならんかね。ということは、さておき、一応の結論を見てみよう。

「途方もないことが明らかになったのだ。過去と未来、原因と結果、記憶と期待、後悔と意図を分かつものは、じつは、世界のメカニズムを記述する基本法則のどこにも存在しない。」
 
時間が過去から未来へと、一直線に伸びているというのは、物理学の「基本法則」の中には、存在しなかったのだ。
 
しかしそれなら、「基本法則」の方を、書き改めるべきであって、物理学者の方こそ、改心すべきだ……とは、物理学者は絶対に考えない。
 
数学者が数学の理論を、机上の空論ではなく、現実に存在していると考えるのと同様、物理学者は、導き出された方程式の方を信じ、その結果、信じられないことに、現実の方をねじ曲げる、というか改変する。
 
そしてそういうことが、たとえば素粒子の世界では、現実に起こっているのだ。

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