腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(5)

第10章には「先端芸術表現科」の、村上愛佳(まなか)さんと植村真さん(大学院)が登場する。

「先端芸術表現科」は、美術の油画から分離した科である。油画に進みながら、油絵ではないものをやりたい人たちを、まとめた科なのである。
 
だから、いろいろなメディアを扱って、作品を制作していくという。

「何でも一通りやります。例えば工作。電子工作もやるし、砂糖でウサギの人形作ったりとかもします。それからデザインもするし、あとは写真、映像、コンピュータ、身体表現……音も扱いますね。気になる音を録音してこい、みたいな課題で。プロジェクションマッピングもやります」。
 
これはそもそも、油画とは何の関係もないじゃないか、とついつい思ってしまう。

それで「先端芸術表現科」と名乗るのは、苦しいとみるか、とつぜん開けた新しい沃野とみるか、難しいところだ。

「先端芸術」の教授陣も、肩書を並べただけでも、「美術評論家、美術史家、現代美術家、演劇評論家、写真家、作曲家、彫刻家、メディアアーティスト、キュレーター……。加えて、今活躍しているアーティストを外部から呼んで講義をしてもらうこともある。美術家に限らず、お笑い芸人やミュージシャンが候補に挙がったりもするそうだ。」
 
著者は、教授陣の肩書だけでも凄いというけれど、見方によっては、ごった煮の闇鍋状態ともいえる。
 
ここは突き詰めていけば、なにがアートかということも含めて、けっこう大変なことになる。

「毎年病んでしまう人が最低一人はいますね。何をすればいいのかわからなくなったりして……休学して、来なくなっちゃったり。なんか外国へ旅に出ちゃったり。」
 
徹底的に、ひたすら徹底的に自由にやっていいといえば、そうなるんだろうなあ。
 
その意味では逆説的に、「先端芸術表現科」は、十分に内実のある科ともいえよう。
 
植村さんが、穏やかな顔をして言う。

「ちゃんと役に立つものを作るのは、アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの、それはだいたい無駄なものなんですけど、それを作るのがアートなんで」。
 
それで、国立の東京藝大が今日在る意味が、おぼろげにわかった気がする。
 
およそ偏差値で受験生を輪切りにするのが、現代社会に沿うものだとすると、東京藝大だけは、そこからはみ出ている。教師と生徒が一体となって、何かを生み出していければいい、という夢物語をどこかで信じている。僕にはそういうふうに読めた。

(『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』
 二宮敦人、新潮社、2016年9月15日初刷、11月15日第8刷)

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