思わず口ずさみたくなる――『ラストダンスは私にー岩谷時子物語ー』(2)

岩谷時子は越路吹雪のマネージャーを、越路が死去するときまで続けた、それも報酬抜きで。それは友情の証しだった。
 
あるとき岩谷は、森山加代子のデビュー曲、「月影のナポリ」の訳詞を依頼された。

歌手のデビュー曲は緊張するが、傑作なのは、この歌はレコード会社の方針として、森山加代子とザ・ピーナッツの競作が、決まっていたことである。
 
つまり岩谷は、同じ曲に別の言葉で歌詞を書き、森山加代子盤とザ・ピーナッツ盤の、二つを競わせたのだ。それは相乗効果を狙う試みだった。
 
今でもこんなことをするんだろうか。ちなみにザ・ピーナッツ盤の作詞は、千家春というペンネームを使った。
 
レコードの売り上げは、50万枚を売った森山加代子に軍配が上がったが、ザ・ピーナッツもよく健闘し、岩谷時子は大いに株を挙げたという。
 
岩谷時子はフリーになると同時に、「ニッセイ名作劇場」という、子ども向けミュージカルを、作詞の面から協力していくことになる。日生劇場の責任者は浅利慶太、岩谷は浅利と契約を交わした。

「ニッセイ名作劇場」の第1回公演は1964年5月、アンデルセンの『裸の王様』だった。脚本・寺山修司、作曲・いずみたく、そして作詞は岩谷時子である。
 
僕はこれを、学校から観に行っている。東京の小学校にいた4年間の、最後の6年生のとき、学年で観ている。
 
どうしてはっきり覚えているかというと、まずミュージカルというものを見たのがはじめてで、そして全く面白くなかったのである。そういうことを、学校に帰って、作文に書いた覚えがある。
 
何回かミュージカルを見ていなければ、劇場で自然に入っていくことは難しい。そう思いませんか。

僕がミュージカルに開眼するのは、リバイバル上映された『サウンド・オブ・ミュージック』まで、待たなければならなかった。
 
それはともかく、脚本・寺山修司、作曲・いずみたく、作詞・岩谷時子、うーん、すごい面子である。
 
以後は年配の人なら、歌を通して、自分のことも思い出さざるを得ないだろう。ザ・ピーナッツ「ふりむかないで」「恋のバカンス」「ウナ・セラ・デイ東京」、岸洋子「夜明けのうた」……。

そして弾厚作、すなわち加山雄三とのコンビ、「君といつまでも」「お嫁においで」等々。「君といつまでも」は、350万枚を突破した。

子どものころの記憶では、あるとき、テレビのベストテンのうち7曲が、作曲・弾厚作、作詞・岩谷時子だった記憶がある。

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