ひたすら朗読――『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』

このところ脳出血のリハビリ用に、『夫・車谷長吉』(高橋順子)、『街と山のあいだ』(若菜晃子)、養老孟司の書いたものを、繰返し朗読している。それぞれ、人と、自然と、何だか解らぬものに対する感覚を、再建するためのものである。
 
養老さんの書いたものは、僕が昔、編集した、『カミとヒトの解剖学』や『日本人の身体観の歴史』、それに『脳が読む 本の解剖学Ⅰ』『本が虫 本の解剖学Ⅱ』を、繰返し読む。
 
ほかに新潮社の『考える人』に連載され、後に単行本にまとめられた、『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』『骸骨考ーイタリア・ポルトガル・フランスを歩くー』などを読む。
 
今回、『身体巡礼』の3回目か4回目を読み直していて、気づいたところがある。
 
養老さんは旅行をして大勢の人に会うが、そうやって出会った人が、家族の問題で悩んでいたりする。
 
特に子どものことは、深刻な悩みになっている。

「子どもには怖いところがあって、親自身の考え方に問題があると、それが子どもという形で現実化する。当たり前だが、親子は自他という関係の根源である。」
 
そういう親子関係に悩んでいる人が、大勢いるという。
 
これは本当に怖い。子どもが小さいうちは、無我夢中で、あるいは、ときにぼんやりしたまま育てているが、実際のところ、絵にかいたようなとは言わないまでも、一応良好な関係を保っている親子は、どのくらいいるのだろうか。
 
僕のところでも、僕は一応、関係は良好と思っているが、子どもたちの方にしてみれば、成人したのちは、そんなことをゆっくり話すこともないから、心の奥までは分からない。
 
つい先日、官僚のトップ、元次官が息子を殺して自首し、裁判の判決は、6年か7年の実刑であった。
 
こういう事例には、本当に言葉がない。
 
息子を殺す父親と、殺される息子は、そこに至る道筋で、第三者の介入を許さないものが、あったのだろう。
 
子どもが生まれたとき、あるいは子どもが小さかったときには、思い出せば、笑っていたこともあったはずだ。
 
でも結局は、この夫婦に子どもさえいなければ、普通の暮らしができただろうに。
 
考えてみると、子どもがいるために不幸な顚末をたどる夫婦は、どのくらいいるのだろう。
 
もちろん、夫婦だけではなく、子どもも一緒に、不幸の道連れになる、そういう家庭は、案外多いような気がする。本当は半ばの家庭がそうだったりして。
 
人の家庭はもちろんわからない。人の家庭ではなく、自分の家庭にしてからが、実はよく分からなかったりする。
 
今回ほかに、養老さんが挙げている本で、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』は、ぜひ読んでみたいと思った。
 
内田樹は昔、何かの拍子で、素通りすることになったのだった。それはもう、脳出血以前の「前世」だから、なぜ嫌うことになったかは忘れた。

そういう意味では、江藤淳は脳梗塞以後の自分は、自分にあらずと言って自殺したが、僕の場合は、ときに脳溢血にも意味がある。

(『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』
 養老孟司、新潮社、2014年5月30日初刷)

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