篤実な評伝だが――『江藤淳は甦える』(3)

江藤淳の「戦後」批判は、日本国憲法の制定過程から、GHQの占領下の検閲問題など、実証的な方向へ進んだ。
 
資料を発掘し、アカデミズムの批判に耐える、その著作は、「江藤淳にとっても、また今読んでも、まぎれもなく文学者の仕事でもあるのは、『戦後と私』の記述によって明らかである。」
 
そうであろうか。問題はここにある。

「文学者の仕事」を、著者はどうとらえているか。

「江藤の語る『もっとも大切なもの』とは、母・江頭廣子のかけがえのない記憶であり、その『イメイジが砕け散った』とは、母の記憶の痕跡をとどめる場所が、『痴戯』の現場になろうとしていたからだ。江藤は母の美しい記憶が無惨にも凌辱された、と感じた。ただの故郷喪失ではなかったのである。」
 
個人的な、あえて言えば、卑小な個人的体験を、戦後日本の歩みと抱き合わせ、そこで異議申し立てをする。
 
これは実にこざかしい、と言わざるを得ない。
 
それが、若くして死んだ母のことであるとしても、それを「文学」という修辞を用いて、個人的な悲しみを際立たせるのは、やめた方がいい。
 
なんだ、個人的な悲しみを、「文学的」という言葉で、オブラートでくるんであるのか、ただそれだけのことか。
 
本書とは少し話が逸れるが、私はむしろ、新大久保界隈の、「痴戯」の噴出する現場に、坂口安吾の「堕落論」に出てくるような話が、見出せそうな気がして、いっそ爽快なくらいだった。
 
しかしもちろん、江藤淳が、のちの批評家の、素晴らしい片鱗を見せたところもある。

「稲村ヶ崎の自宅近くには、漱石の次男・夏目伸六の家があった。ある日、通りで友達とキャッチボールをしていて、球が逸れた。その球を拾って投げ返してくれたのは夏目さんだった。『彼にはいわば世間一般に通用している漱石の名声の影を、暗く凝固したようなところ』があった。『この暗さには偉い親を持った息子の不幸などという月並みな判断では片附かぬ異常なものがあった』(『決定版 夏目漱石』)。」
 
こういうところは、まことに凄みがある。
 
そして、これに続くところ。

「江藤淳が処女作『夏目漱石』で執拗に追求した『漱石の低音部』を、次男の顔から感じていたというのだ。」
 
このあたり、江藤淳はさすがである。

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