ちゃんと校閲しなさい!――『夏の栞ー中野重治をおくるー』(2)

しかし次のような場面は、ただただ感心し、唸るしかない。
 
中野重治が病院にいるとき、病人の周囲に紐が張ってあり、タオルが掛けてあった。その紐が、何かの拍子にほどけ、中野の顔の上に垂れた。
 
佐多稲子は、それを上にあげた。すると、眠っていたと見えた中野が、気配を感じて、「稲子さんかァ」と、弱々しく声を発した。
 
それに対して、中野の妻の原泉が、「あら、稲子さんってこと、どうしてわかるんだろう」と「ぴしりと聞える調子で云った」。
 
そこからが、クライマックスである。

「原さんの言葉に対して中野が答えたのである。
『ああいうひとは、ほかに、いないもの』
 そう聞いた一瞬、私は竦んだ。それは私の胸で光りを発して聞えた。ゆっくりと云った中野のそれは原さんへの答えだが、ひとりでうなずく言葉とも聞え、私にとってそれは、大きな断定として聞えた。中野自身は、自分のその言葉を、云われた当人が聞いている、と知っていたであろうか。その意識は無いように見えた。私だけが中野のその言葉を強烈に聞き取った。」
 
そこから、原泉の佐多に対する微妙な感覚と、佐多が中野のセリフを記す「偽善的」な感覚を、俎上に載せるところがくる。

「私が今、自分へのほめ言葉と受け取った中野重治のその言葉をここに書くのには、神経への抵触を感じる。しかしまた書かないなら、それはつつしみではなく自分にとって偽善になるという感じをどうしようもない。」
 
だから結論としては、次のようになる。

「それは、自分に引きつけて受け取れば私について云われた、私の、誰からも云われたことのない最上の言葉であった。それも、長年のつきあいのうえで云われたのであってみれば、私がどうして書かずにいられよう。こんな私の感情自体も、この長いつきあいの間の、中野重治に対する私の立場をあらわしていようか。」
 
新宿・番衆町の女将が、感心していたように、ここは本当にうまい。とくに最後の一文は、誇張して言えば、中野重治と佐多稲子を、同時に対象化しており、書き手の視点が突然、遠距離にフォーカスされていて、まるでフランスの古典派心理小説のようである。

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