ただ懐かしい――『書評稼業四十年』(3)

それにしても、五木寛之、野坂昭如に象徴される、新しいエンターテインメントが登場する前、北上次郎は、どんなものを読んでいたのだろうか。
 
そこにあるのは、前後する作品の、凄まじい落差である。たとえばその前に、熱中して読んでいた源氏鶏太。北上は、そんなものを熱心に読んでいたことが、信じられないと言う。

「『堂々たる人生』の主人公中部周平は、発表から五十年近くたってみると、信じがたい男といっていい。ヒロインの眼に映る主人公は『男らしい男』なのだが、どう読んでも単純ばかにしか見えないのは辛い。」
 
これは、ただただ笑うしかない。一刀両断、切られて終わりですなあ。

「この『堂々たる人生』は中部周平の勤める玩具会社が資金繰りに困り、その会社の危機を救うために主人公が奮闘する物語だが、真剣に対応すれば必ず道は開ける、というのはたしかに一面の真理かもしれないものの、それしか言わないのでは困ってしまう。」
 
こんなものを、なぜ熱中して読んでいたのだろう、と北上は言う。でもこういう小説が、確かに売れていた時代があった。つまり、娯楽のない時代である。
 
五木・野坂とは別に、空前のミステリーブームというのもあった。

「ほとんど小説を読んだことのない十五歳の少年〔北上次郎のことです〕が、前期の清張作品、たとえば『点と線』や『ゼロの焦点』や『砂の器』、そして梶山李之『黒の試走車』をいきなり読むのだから驚くのは当然だろう。」
 
これは「書評稼業四十年」の、前の段階であるが、それにしても書評家というのも、一朝一夕にはできあがらないものだ。
 
北上次郎はこんなふうに述べている。

「私が書きたかったのは、昭和四十年前後に中間小説誌の黄金時代があったこと、この時期に日本のエンターテインメントの質が飛躍的に向上したこと――この二点である。」
 
僕はこれに、北上次郎の読書欲が最も旺盛だった、十代後期に当たっていたことを、申し添えたい。
 
この本はほかに、書評原稿のギャラの内実が書いてあったりして面白い。

「だいたい一篇三千円から六千円くらい(一部例外もあるが基本)。だから五十篇やると十五万から三十万。それを六社やれば総額が百万から二百万。増減もあるかもしれないが、これが一般的な相場になっているようだ。『理想の仕事』ではあってもそれだけで生活するのは少し辛い。難しいものである。」
 
よく考えてください。全部で、一年間に300本ですよ。「理想の仕事」とはいっても、内実は、本を読む「奴隷」ではないか。
 
もっとも、本だけ読んでいたかった北上次郎としては、理想かもしれないが。
 
一番最後にこういうことが書いてある。

「いちばんいいのは、本を外から見ていることだろう。本を手に取って、これは面白そうだなあと外から見ているときがいちばん幸せである。」
 
それはもう、僕も本当にそうだなあと思う。

(『書評稼業四十年』北上次郎、本の雑誌社、2019年7月30日初刷)

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