生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(1)

これは抜群に面白い本だ。
 
小松貴の本は『裏山の奇人ー野にたゆたう博物学ー』を、2014年に書評したことがある。これもとても面白い本だった。
 
僕はこの年の11月に、脳出血で倒れたので、ひょっとすると〝前世〟における、最後の書評本かもしれない。
 
それはともかく、のっけから人を食った話が出てくる。

「フィールドにおいてカエルは、虫と違って知的な駆け引きが出来る格好の遊び相手となる(虫も虫で面白い観察対象だが)。虫に比べて外見が人に似ていて親しみを持ちやすい、というのもあるかもしれない。」

「虫に比べて外見が人に似ていて」というところ、何とも言えません。著者の頭の中では、こういうふうになっているのだろう。
 
たしかに「あらゆる脊椎動物を骨格標本にした時、骨の通った尾がないのは人を含む高等なサル、鳥類、そしてカエルだけなのだ」、ということらしい。骨格標本にしたとき、人とカエルは近いところにある、らしい。

小松先生の本は、ほとんど聞いたこともないような生き物ばかりが出てくる。たとえば、チビゴミムシの仲間。

「これらは共通して、体色が薄くて赤っぽい、そして複眼が退化して視力を持たないという形態的特徴を持つため、『メクラチビゴミムシ』と呼ばれている。彼らは目が機能しない代わりに、長い触角と数本の細長い体毛を持っており、これで周りの物体の存在を感知しながら暗闇を疾走する。」
 
地下に潜んで、闇の中を疾駆する、とはいえ「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」。名づけのときに、もう少し何とかならんかったんかい。

「たまたまゴミムシという甲虫の分類群の中に、小型種からなるチビゴミムシというサブ分類群があり、さらにその内訳に眼のないメクラチビゴミムシという仲間がいるというだけの話に過ぎない。」
 
なるほど、よくわかりました。要するに、人と交わって社会生活をする上で、忖度したり遠慮したりするということは、昆虫を相手にしている限りは、必要ないということですね。それはそれで、かえって気持ちのいいことなのかも。

でも日本だけで、400種くらいいるチビゴミムシのうち、眼のないメクラチビゴミムシ類は、おそらく300種以上はいて、しかもその全種が、なんと日本にしかいない。
 
おお、これは国花や国鳥に倣って言えば、まるで日本の「国虫」ではないか、とこれは僕の独断。
 
しかもメクラチビゴミムシは、「1地域・1メクラチビゴミムシ」を原則にしている。

「おそらく、遠い昔には日本の地下水脈はもっと単純な流れで、この流れに沿って今日よりずっと少ない種数のメクラチビゴミムシが広域に住んでいたのだと思う。それが、その後の地殻変動に伴い、地下水脈が重ねて分断され、メクラチビゴミムシともども孤立化していった。」
 
そうして各地域で代替わりし、それぞれの地域で、独自の種へと分かれていったのだ。
 
だからこういうことが言える。

「ウスケメクラチビゴミムシという(他意がないとはいえ、メクラチビゴミの上に、さらに薄毛とは!)種が大分県の東海岸沿いにいるが、これに極めてよく似た近縁種が、豊後水道を挟んだ対岸たる愛媛県の海岸沿いにいる。そのため、かつて九州の北東部と四国の西部が地続きだったということが明瞭に理解できる。」
 
なるほど、そういう推理が成り立つわけか。

そして著者は、結論としてこういうふうに言う。

「地下性生物は、生ける歴史書と呼んでも過言ではなかろう。」

「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」は、「生ける歴史書」でもあったのだ。ま、参りました。

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