自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(2)

とはいえ立ち食いそばである。そう波乱にとんだ誌面が、構成できるわけもない。
 
そこで一つは、誰かと連れ立って食べに行く、という手がある。そこで対談までやっている。
 
そのうちの一人が、坪内祐三さんである。題して「坪内祐三さんと早稲田界隈」。
 
こうなると、平松洋子の『そばですよ』の枠をはみ出してしまう。

「坪内祐三さんは一九五八年東京・世田谷生まれ、半ズボンの頃から街歩きに耽溺した筋金入りの東京逍遥者。プロレスや野球観戦、映画館に出かける道すがら、立ちそばの暖簾をくぐった。小銭を数枚渡せば一杯のそばが黙って手渡される。さっぱりとしたやりとり。他人と群れることなく街との関係を培った坪内さんは、少年時代から立ちそばの本質を鋭く嗅ぎ分けていた。」
 
一応、そばにかこつけてはいるが、力点は移って、「坪内祐三の世界」である。
 
で、その頃の「早稲田界隈」はと言えば。

「『僕が通ってた文学部には生協の食堂がなくて、すごくしょぼかった。とんかつが二百五十円で安いんだけど、「まずい」ってことを口にしない俺でも、本当にまずくて。上カツレツっていうのがあるから「これだ」と思って頼むと、そのまずいとんかつが二枚のっかってた(笑)』」。
 
こうなると坪内さんの独壇場である。

僕はもう、坪内さんは読まないことにしていたのだが、こうなると、激しい禁断症状が起きてくる。だいたい、なぜ読まないことにしたかが分からない。

というわけで、さっそく「昼夜日記」を注文する。

『そばですよ』は「本の雑誌」に掲載されたものだが(そして今も掲載されているが)、単行本にするとき、掲載順に収録したわけではない。
 
どうしてそうしたかというと、この本には中心がある。虎ノ門の「港屋」の章がそれだ。
 
その中心を、真ん中よりも少し後ろにずらし、本としていい具合に持ってくるために、そういうふうにしてある、と僕は思う。
 
その虎ノ門「港屋」は、

「立ちそばのニューウェーブの源流。
〝港屋インスパイア系〟を生んだ革新的存在。」

だそうである。
 
うーん、どういうもんかね、これは。

「看板がない。探さなければ店の名前もわからない。店内はやたら黒っぽく、間接照明のライトは灯っていてもうす暗く、だからそばもよく見えません昼間でも。カウンターはでっかい黒大理石の直方体で、お客は四辺を取り囲むかっこうで立つ。大理石の平面のセンターは水をゆらゆら湛えた水盤、洒落た花が活けてある。BGMはジャズだったか、クラシックのピアノ曲だったか。」
 
こういう店、本当に嫌ですね。立ち食いそばは、もっと自由に食べられなければ。
 
そこは実は、平松洋子さんも同意する。

「どうしたって西麻布あたりのバーなんか思い出すわけだが、いや、いまそれはぜんぜん求めていないんですけど。そばが食べたいだけなんですけど。」
 
最初は、こういうふうになっていたはずなのに、途中で恐るべき逆転が起こる。

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