自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(1)

ご存じ、平松洋子の世界。今度は「立ち食いそば」である。

それを「立ちそば」と名付けたところが、まず秀逸である。立ち食いそばに、敬意を表してあることが分かる。
 
これを読んでいくと、僕はもうつくづく、立ち食いそばには、入れないと思う。半身不随のまま、立ち食いそばを食することは、女房がいれば、なんとかできるかもしれない。でもそれは、ふらっと入って、「天玉一丁!」と注文し、十分ほどで食べて店を出る、というのとは違う。
 
大げさに言えば、そこには自由の風に似たものが吹いていた。

でもそれはなくなった。ほんとうにもう、「一身にして二生を経る」だなあ。
 
その頃僕は週に1回、午後6時半から8時まで、東大の情報学環で、出版のあれこれを教えていた。もちろんトランスビューの仕事は、通常通りにこなしながら。
 
6時前に本業を終え、東大へ向かう途中、本郷三丁目の駅を出たばかりのところで、立ち食いそばを、よく食べた。
 
考えてみれば、あの隙間の時間に、他に何を食べられたろう。
 
そのとき立ちそばは、小腹を満たしただけでなく、本業ともう一つの仕事をつなぐ役目も、してくれたのだ。僕はそのとき、何というか、小さな自由も味わっていたのだ。
 
平松洋子の取り上げる立ちそばは、チェーン店ではなく、個人や一家でやっている独立系の店である。富士そばや小諸そば、ゆで太郎は取り上げない。インディペンデント系でないと、一店ずつ違うそばの特徴が、摑みにくいということだ(でも僕は、チェーン店のそばも好きだけどね)。
 
著者の文章は、例によって躍動している。たとえば、本郷三丁目の「はるな」の場合。

「さあ、そばですよ。お膳を持って細長いカウンターに席を取る。ふんわり、だしのいい香り。丼を持ち上げ、まず熱い汁をちゅっと啜ると上品なつゆが喉をつたい、はあぁ~とおいしい息が洩れた。角がきりりと立った柳腰の細いそば。きれいなそばだなあ。間を置いてのせたかき揚げからじわ~んとうまみが汁に浸み出て、こくが深まってゆく。」
 
思わず舌なめずりする。
 
この本には、中ほどに2箇所、8頁ずつのカラー写真が入っている。客が並ぶ店の外とか、中で店の人がそばを用意するところとか、てんぷらとか、いなりとか。それは、湯気が立つような、絶妙のカラー写真だ。まるで、本の中から匂ってくるような。

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