最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(3)

ブレディみかこはこの本で、息子の中学を舞台に、様々な問題を取り上げ、「地べたから」出発して、現代の大きな問題、イギリス全体やEUにかかわる問題、また日本に帰ったときは、日本の問題を、やはり「地べたから」論じている。
 
その筆致は躍動し、スケールの大きさは、読んでいるときは、テンポの速さもあって、心躍る鮮やかさだ。そして、そうでありながら、その文体は、襞の奥まで手触りがあり、しかも緻密だ。
 
息子が、白人労働者の子どもたちの中で、育っていく姿は、それを距離をおいて、見つめている著者の、ときに心の震えまでも感じられる(まるで日本の最良の私小説のようだ)。
 
しかしそうであれば、一点、どうにもよく分からないところがある。

「ユニフォーム・ブギ」と題する第7章で、著者はボランティアとして、制服のリサイクルを行なう女性教員と保護者たちを、手伝うことになる。
 
これは中古の制服を、保護者たちから集め、日本円でいえば、50円とか100円で販売するもので、その際にほつれていたり、破れていたりすれば、それを繕う人を募集していた。
 
そういうことを実地にやってみると、実際にこれは今のイギリスのことだろうか、という事態に直面してしまうのだ。
 
生徒たちからは親しみを込めて、「ミセス・パープル」というあだ名で呼ばれている教員が語る。

「まったく、もう30年以上、中学の教員の仕事をしているけど、サッチャーの時代でもこんなにひどくはなかった」。
 
ミセス・パープルは、ブルネットの髪の一部に、紫のメッシュを入れているから、こう呼ばれる。

「制服を買えない生徒たちが大勢いるのよ。……ちょうど5,6年前になる。大きなサイズの制服が買えなかったり、制服が一着しかないから洗濯して乾いてなくても着て来なきゃいけない子たちが出てきて、いったいいつの時代の学校なんだと思った」。
 
これはどういうことだろう。

「でも本当は制服だけじゃ足りない。女性の教員の中には生理用品を大量に買って女生徒に配っている人もいる。私服を持ってないから私服参加の学校行事に必ず休む子もいて、スーパーでシャツとジーンズを買ってあげたこともあった」。
 
これ、教師のやることじゃないでしょう。
 
以前の労働党政権は、子どもの貧困をなくすべく、着実に手を打っていた。ところが、2010年に政権を奪回した保守党政権が、大規模な緊縮財政を敷くようになって以来、その影響がもろに貧しい層に現われた。

「2016~17年度では、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもの数が410万人に増えていた。これは英国の子どもの総人口の約3分の1になる。」
 
子どもの3人に1人は、貧困家庭……。これ、おかしいでしょう。
 
こんなことをしていて、なぜ保守党政権がずっと多数を取れるのか。

「昨日の夕食は食パン一枚だったって話している子の言葉を聞いちゃったらどうする? 朝から腹痛を訴えている子のお腹がぐうぐう鳴っていたらどうする? 昼食を買うお金がなくて、ランチタイムになったらひとりで校庭の隅に座っている子の存在に気づいたらどうする? 公営住宅地の中学に勤める教員たちは、週に最低でも10ポンドはそういう子たちに何か食べさせるために使っていると思う。」
 
教員は、政治運動をやらないのかね。
 
僕がブレディみかこの本を読んで、いつも疑問に思うのは、緊縮財政をそれほど目のかたきにするなら、そしてそれが、誰の目にも明らかであるなら、どうして保守党から労働党に、政権が移らないのか、ということだ。
 
大方この10年は、中流・上流階級が、多数を占めてきたからなのか(そんな馬鹿な)。子どもの貧困は、それが多ければ多いほど、最も争点になるはずだし、またそうしなければならない。

「バス代がなくて学校に来られなくなった遠方の子のために定期代を払った教員の話、素行不良の生徒を家庭訪問した教員がその家に全く食べ物がなかったことに気づいてスーパーで家族全員のための食料を買った話、ソファで寝ている生徒のために教員たちがカンパし合ってマットレスを買った話。」
 
もちろん現場では、常に待ったなしで、解決しなければいけないことだ。
 
でもそれだけでは、永遠に堂々巡りでしょう。民主主義の教科書・イギリスではこういうときは、どうするのかね。選挙はやらないのか。
 
それとも、保守党を支持しなければいけない、子ども以上の、もっと大事なことがあるのか。
 
ブレディみかこの本は、これまでは身に染みることが多かった。そうであればよけいに、その政治体制に関する記述は、一面の真実を、書いていないのではないか、と思わざるを得ない。僕のような、ヨーロッパの政治に疎い人間には、そんな気がしてならない。

(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 ブレディみかこ、新潮社、2019年6月20日初刷)

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