ユニーク、大谷崎――『陰翳礼讃・文章読本』(1)

筒井康隆の『不良老人の文学論』は、帯の推薦文や、文庫の解説、文学賞の推薦の言葉を集めたものだが、とにかく面白かった。
 
これを読んで、のちに読んでみようと思った本が、何冊かある。
 
谷崎潤一郎も、その一人だ。ここでは『陰翳礼讃・文章読本』と、それに続けて『卍』を読んでみる(『卍』は、項目を別に立てて論じる)。

『陰翳礼讃・文章読本』は、いずれも昭和九年ごろに書かれている。この新潮文庫には、他に「厠のいろいろ」「文房具漫談」「岡本にて」が収められている。

「陰翳礼讃」は、読む前から見当がついていて、そうして読んでみると、その通りである。

「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。」
 
へえ、へえ、そうでっか、そうでっか。
 
こういう文章は、昭和初期の市民生活資料として読む以外に、どうしようもあるまい。これは高校の国語の教科書に載っていたような気がするが、いまは載っていまいな。あるいは、古典の教科書に移行しているかもしれない。
 
それでは谷崎は、資料として読む以外に、読みようはないのか。

とーんでもない! 谷崎は、凡庸ではないどころか、あっと驚くことを書いている。

ここまで、いろんな陰翳を礼賛しておいて、そこから一気に大風呂敷を広げる。

「もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、ということを常に考えさせられるのである。」
 
西洋とは別の、独自の科学文明といわれても、僕なんかには想像もつかない。そこを谷崎は、もう一押し、押してみるのである。

「恐らくは、物理学そのもの、化学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われわれが教えられているようなものとは、異った姿を露呈していたかも知れないと思われる。」
 
ふーむ、としか、ほんと言いようがない。

また「陰翳礼讃」は、たんに住空間の、暗い見たままを言っているのではない。

「とにかくわれわれの喜ぶ『雅致』と云うものの中には幾分の不潔、かつ非衛生的分子があることは否まれない。西洋人は垢を根こそ発(あば)き立てて取り除こうとするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまま美化する、と、まあ負け惜しみを云えば云うところだ……」
 
日本人がどうして、「非衛生的分子があること」を好むのか、そしてそれは、負け惜しみに近いところがあることを、よく分かってらっしゃる。
 
だから我々は、以下のようなところも嫌なのだ、と谷崎は言う。

「われわれが歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがりがりと云う音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。」
 
ふふっ。歯医者が嫌なのは、周りが金ピカのせいではない、と思うよ。
 
でも、谷崎が歯医者を嫌ったのは、よくわかる。

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