こんなところで小技とは――『むらさきのスカートの女』(1)

今村夏子の芥川賞受賞作である。
 
近くに住む、「むらさきのスカートの女」のことが、「わたし」は気になって方がない。なんとか友だちになりたくて、それとなく同じ職場に誘導するが、なかなか友だちにはなれない。
 
例によって今村夏子の筆法だから、「むらさきのスカートの女」はかなり変である。
 
しかし、読み進むにつれて、もう一人、小説の語り手である「わたし」も、そうとう変であることに気づかされる。
 
だいたい同じ職場であれば、ひと声かければ、すぐ友だちになれるではないか。
 
しかしそれでは、物語はあっという間に、というか始まる前に終わってしまう。
 
そこは、今村夏子の筆によって紆余曲折、というほどのこともないのだか、とにかくそういう事情が生まれる。例えば、通勤バスで起こったこんなこと。

「身動きの取れないこの状況で、わたしは先ほどからむらさきのスカートの女の右肩にご飯粒が付いているのが気になっていた。
 乾いて固くなったご飯粒だった。塚田チーフに朝は米を食べろと言われたから実践しているのかもしれない。もしかすると、もう何日も前から付いたままになっているのかも。取ってあげたいのだが、この状況だから手指を動かすのにも苦労する。」
 
なかなか滑稽である。しかしこれは、発端に過ぎない。

「わたし」が意を決して、ご飯粒を取ってあげようとしたとき、「バスが急カーブに差しかかり、車体が左右に大きく揺れた。その拍子に、わたしはご飯粒ではなくて、むらさきのスカートの女の鼻をつまんでしまった。
『んがっ』
 と、むらさきのスカートの女がまぬけな声を出した。わたしは慌てて手を引っ込めた。」
 
ここまででも、なかなか面白いが、これは起承転結で言えば、「起」と「承」にすぎない。
 
このあと、むらさきのスカートの女は、だれが鼻をつまんだのか、ということはさておき、お尻を触ったサラリーマン風の男を、交番に突き出し(「転」)、会社に遅刻してしまう(「結」)。
 
少しずれたところで、滑稽なことが起こる。今村夏子の小説は、そんなふうである。
 
ところが今回は、ちょっと違う。

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