13人の「墓碑銘」――『オウム真理教 偽りの救済』

著者の瀬口晴義は、東京新聞の社会部記者。95年3月の地下鉄サリン事件以降、オウム事件の報道にかかわり、裁判の取材や、死刑囚らとの面会、手紙のやりとりを重ねてきた。
 
去年、2018年7月6日に、麻原彰晃・早川紀代秀・新実智光・井上嘉浩・中川智正・遠藤誠一・土谷正実が死刑になり、7月26日には、広瀬健一・豊田亨・林泰男・横山真人・岡崎一明・端本悟が死刑になった。
 
これで、オウム真理教の確定死刑囚13人が死刑になった。一区切りというわけで、オウムの全貌を見渡して、そういう本を書いたのである。
 
橋本治の『宗教なんかこわくない!』でも書いたように、私はこれまで、法蔵館にいるときに、「別冊・仏教」として『オウム真理教事件』を出し、そこから派生して、森岡正博さんの『宗教なき時代を生きるために』を出した。
 
そして続けて、島田裕巳さんのオウム論を、書き下ろしで出そうとしたが、それが通らなかったので、そういうこともあって、トランスビューを作り、島田さんの『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』を最初に出版した。
 
しかし、今度この本を読んでみて、私は、オウムの内側に興味を持っていたわけではない、ということが、今さらながらよく分かった。
 
もちろん精神の世界には、強く惹かれる。というか、ほとんどそこにしか興味はない。しかし麻原彰晃の開示する世界には、一目見た時から、強烈な嫌悪感しか感じなかった。あの、高田馬場の書店で見た、麻原彰晃の空中浮揚写真が、カバーに印刷されている本だ。
 
もちろん強烈な嫌悪感というものは、容易に反転しがちだ。それは、肝に銘じておく必要がある。

しかしそれでも、オウムのいう「精神世界」は、人間精神の働きのごく一部、それも、かなり偏った動きの一部である。「空中浮揚写真」に、オウムの「精神世界」の一端が現れているなら、それは見世物小屋と大差がない。

「麻原を『師』に選ばなければ、死刑になった12人は実直に生きてそれぞれの立場で社会に貢献した人たちだ、と私は断言できる。彼らは罪を裁かれるべき加害者であると同時に、麻原に人生を奪われた被害者の面も併せ持つ。これがオウム事件の本質だ。」
 
たしかに、そういえるかもしれない。

しかし、まず最初に麻原に興味を惹かれて、そこに参加してみなければ、そういうことは起こらなかった。その最初の一歩は、重要な点だろう。
 
この本を読むと、オウム真理教団は、テレビに出てきたときには、坂本弁護士一家を惨殺しており、今さらながら、そういう嘘は、見抜けなかったのかと思う。
 
弁護士一家の惨殺が、もう一方からすれば、「ボアによる転生」とみる見方の、怖ろしいところである。殺人にかかわった人間は、それを頭から信じているから、テレビに出てきても、その瞳には少しの陰りもない。
 
それで地下鉄に、サリンを撒くところまで行くわけだ。
 
この本は、刑事裁判も丁寧に追ってあり、麻原の裁判が、なぜ一審だけで終了したのかということも、よくわかった。
 
これは、一般に弁護側の不手際と取られることが多いが、そしてそういう面もあるにはあるが、根本的には麻原が悪いのだ、ということがよく分かった。
 
麻原はもう、裁判は嫌になったのではないか。なんと無責任な、とあきれるしかないが、しかし、そういうことだと思う。罪の重さを考えれば、二審、三審で、自分のやったことを、何度も明るみに出されるのは、たまらなかったのだと思う。とにかく目を背けたいと思ったのだ、ということが、よくわかるような気がする。
 
この本の最後に、付録のように2段組で、死刑囚一人ずつの、著者とのかかわりが出てくる。題して「墓碑銘」。私は、ここを最初に読んで、買おうと決めたのだった。

(『オウム真理教 偽りの救済』瀬口晴義、
 発行・集英社クリエイティブ、発売・集英社、2019年6月30日初刷)

この記事へのコメント