詩人にして哲学者、そして大阪漫才師――『夏物語』(8)

冷蔵庫のビールは無くなったようだ。しかしNやんは、まだ腰を上げずに黙ったままだ。もう少し、『夏物語』の余韻を楽しむつもりなのか。
 
僕の方が口を開く。

「考えてみると、この小説には、まだ続編がありそうやな。夏子の子どもが生まれてくるんでもいいし、設定はがらっと変えてもいいけど、この物語には続編がある」

「なんでや、どんなんや」

「ここに来て、日本人の女が、子どもを産むことに、それほど積極的やない、と思わんか」

「それはもう、ずっとそうや」

「個別に考えたら、それこそいろんなタイプの女がいて、千差万別やろけど、全体としては、積極的に産もうという気はない」

「それは、年間の出生数を見たって、夫婦二人から生まれるのが、おおかた1.5人やから、このままでいくと、日本人は滅びざるをえんな。ほんまにもう、困ったことやで」

「と口では、そういうけども、お前がほんまに困ってるのんは、見たことがない。そもそもNやんは、悦ちゃんとの間に、子どもを持っとらんやないか」

「それは、俺ら夫婦は、結婚が遅かったからや。向こうも仕事持ってて、油が乗ってくるころやったしな」

「そうやな。仕事と子どもを秤にかけりゃ、仕事が重たい渡世の義理、ということが、しばしばあるな」

「女唐獅子牡丹やな。ほんでも必ずしも、仕事と子どもを秤にかけりゃ、ということもないで。やっぱり女の方が、男に比べて、はっきり実入りが悪いし、育児休暇も、男は取りよらん。女の方が圧倒的に、子育てのしわ寄せを受けとる」

「それでも、だから子どもは、よう産まんというのは、この時代特有のことや。だいたい子どもを、仕事やなんかと秤にかけるというのが、実際には新しい考えやと思うんや」

「それだけ女の方も、ひとりの人格として、自覚できるようになってきたちゅうことや」

「しかし、だからというて、将来産まんような女ばっかりになって、日本人は死に絶えました、というふうになってもええんかいな。まあ、しゃあないのかな」

「せやからもうちょっと、男が協力してもええやないか。そう思わんか?」

「まあ事実、ヨーロッパでは、出生率はそれほど落ちてないしな」

「しかし、今の日本では、その辺は望み薄やねえ」

「でもな、将来の日本人という点では、外国人を日本人として入れようとしてるから、何とかなるんとちゃうか」

「大相撲の原理やな。『日本の国技』という表看板はそのままに、内実はモンゴル人が牛耳っている。それで、ようやってるのは、将来の帰化を視野に入れてる。今年からこれを、大相撲から日本国に変えて、大々的にやろうっちゅうわけや。うまいこと行くかどうかは、わからんけどな。ところで未映ちゃんの続編の話は、どないなっとるんや」

「そないに大げさなことにはならんやろけど、というか話の方向が違うてしもたけど、しかしこの続きは、ありそうな気がする」

「ワシは未映ちゃんに、是非、『お笑い純文学』をかいてほしい。これまでの、文学にユーモアを、というのは、未映ちゃんを読んだ後では、どれも木端微塵や。最初から終わりまで、笑い死にしそうでどもならん、今わの際には、未映ちゃんを読んでから笑って死ね、というふうになってほしい」

「むちゃくちゃやな。俺はなあ……『ヘヴン』が好きなんや。緊密な文体が、最後へ来て、内容とともに垂直に真上に抜けていく。これは誰にも真似のできんこっちゃ。ああいうのを書いてほしい」

というところで、田中晶子が帰ってきた。Nやんは、そそくさと帰り支度をはじめ、あっという間にいなくなった。

(『夏物語』川上未映子、文藝春秋、2019年7月10日初刷)

この記事へのコメント