斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(7)

「二〇〇〇年代」は、最初に3つのトピックが取り上げられる。そしてこれが、実に問題なのだ。
 
最初は『世界がもし100人の村だったら』(2011、池田香代子再話)である。

「これは同時多発テロ後、インターネット上をチェーンメール形式で世界をかけめぐった文書を日本語に訳した小型の絵本です。」
 
たしかに空前のベストセラーかもしれないが、これを岩波新書の『日本の同時代小説』に、トピックとして入れるのは、僕は反対である。これは「同時代小説」とは、何の関係もない。
 
もう一つは、ネットから生まれた、中野独人(ひとり)の『電車男』(2004)である。
「元ネタは、インターネット上の巨大掲示板『2ちゃんねる』の独身男性板(通称『毒男板(どくおとこいた)』。ここでやりとりされた『書き込み(レス)』が後に整理され、本として出版されたのです(中野独人は彼らの総称です)。」
 
これもずいぶん話題になった。買わなかったが、書店でためつすがめつ、横書きの文章を見たことはある。これはたしか、新潮社から出た。
 
みんなでテキストを作る、こういうものは、その先に、何かが見えてきそうな気になる。もちろん今のところは、ウィキペデイァを除いては、確たる成果は上がっていないが。
 
3つ目は、『ケータイ小説』の爆発的な流行である。と言っても、もう忘れちゃってるか。

「……ポエム風の文章、改行の多さ……。大人の目で読めば、内容的にも、文章の面でも、ケータイ小説は小説と呼ぶのがためらわれるレベルのものです。」
 
ここでは、「大人の目で読めば」というところが、ミソである。つまり大人は、そして文学読みたちは、ケータイ小説を、ほとんど読まなかったのである。
 
けれども、書店の売り上げには入ってくる。

「〇七年の年間ベストセラーランキング(トーハン調べ)は、文芸書部門のトップ3を書籍化されたケータイ小説が独占し(一位は『恋空』、二位はメイ『赤い糸』、三位は美嘉『君空』)、出版界を驚愕させたのでした……」
 
ここから、僕は日本の文学というものに、さほど関心を持たなくなった。そしてそういう人は、多いのではないかと思うのである。
 
しかしそれを、斎藤美奈子は、粘り強く、以後も丹念に読んで、評価し続ける。

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