斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(5)

1989年に昭和天皇が亡くなり、平成時代が始まる。90年には、株価は下降傾向に転じ、92~93年ころには不況が実感され、「失われた二〇年」が始まる。バブル経済の崩壊である。
 
91年にはまた、アメリカ中心の国連多国籍軍が、イラクを攻撃する。日本ではこれに対し、柄谷行人、中上健次、島田雅彦、高橋源一郎ら16人が発起人となり、「湾岸戦争に反対する文学者声明」を発表する。
 
文学者が、政治的な声明を発表するのは、60年安保のとき以来だったが、もちろん、政治的には敗れる。というよりも、声明を発表することそのものに、意義があるということだ。
 
こうして見てくると、90年代は本当に、国の内外が、音を立てて変化している。
 
1989年には、東欧の動乱が始まり、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳がマルタで会談し、40年以上にわたる東西冷戦を終わらせている。
 
国内では93年に、細川護熙を首相とする、非自民八党連立政権が成立、自民党と社会党が補完勢力としてタッグを組んだ、「五五年体制」が崩れ去る。
 
こう書いてくると、90年代は文学が凋落していく始まり、と僕はぼんやりと考えていたのだが、現実がこれほど目まぐるしく変わると、文学もついて行くだけで、容易なことではない。
 
戦後すぐに始まり、そのまま90年代まで持続してきた「五五体制」は、考えてみると、大枠は非常に分かりやすかった。大半の文学者は、というか戦後ずっと、大物の文学者は、一方の極にいて、そこで創作していればよかった。
 
それが、そうではなくなる。文学史を書く斎藤美奈子の孤独な闘いも、このあたりから始まる。

「そんな時代に日本文学はどのように推移したでしょうか。
 答えを先にいってしまうと、九〇年代は女性作家の時代でした。」
 
取り上げる作家は、見出しだけ挙げていくと、「超現実を操る――笙野頼子、多和田葉子、松浦理英子」、「現実と対峙する――高村薫、宮部みゆき、桐野夏生」、「日常と非日常の狭間で――川上弘美、小川洋子、角田光代」。
 
僕が読まない作家もいる。ほとんど全作品を読んでいる作家もいる。代表作と思しき作品だけは読んでいる作家もいる。
 
ただそれまでとは、どの作家のものを読んでも、自分の力の入り方が違う。うまく言えないが、自分の全体重を乗っけて読む、という読み方ではなくなった。それはなぜ?

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