斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(3)

次の「一九七〇年代」も面白いが、戦後から今に至るまでを見渡してみれば、文学の頂点は、「一九八〇年代」にあった、と僕は思う。
 
80年代の文学は、しばしば「ポストモダン(脱近代)文学」と言われるが、そうして作品によっては、そういう側面もあるにはあるが、しかし、それを超えた、もっと大きなものが聳え立っている。
 
章分けの必要上から「八〇年代」に入れてあるが、70年代から活躍を始めた人に、中上健次、村上龍、村上春樹がいる。
 
この三人が揃った第3章「八〇年代」が、日本の戦後文学の頂点だったと思う。
 
中上健次はむしろ70年代だが、『岬』を突破口に、『枯木灘』、『知の果て 至上の時』を書き継いだ。
 
村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で、いわゆる「衝撃的なデビュー」を果たしたが、僕には退屈だった。それが、1980年に『コインロッカー・ベイビーズ』を発表した。
 
これは本当に衝撃だった。立て続けに2回読んだが、いろんな思いがごった煮になるのとは別に、なにか突き抜けた、爽快な感じがした。
 
村上春樹の79年のデビュー作、『風の歌を聴け』は、会社から帰った金曜日の深夜に読み始め、そのまま7回繰り返して読んだ。読み終わると、土曜日の正午になっていた。こんなことは、後にも先にもこの一回限りだ。
 
80年代に入ると、長編第一作の『羊をめぐる冒険』(1982)や、上下巻で200万部を超えるベストセラー、『ノルウェイの森』(1987)があるが、僕にとって何ものにも代え難いのは、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)だ。
 
この作品は、謎が謎を呼ぶ村上春樹の、最初の、そして最も鮮やかな世界を、提示していると思う。

80年代は、それ以外にも、小説の面白い時代だった。

大江健三郎『同時代ゲーム』(ちょっと遡って1979)、井上ひさし『吉里吉里人』(1981)、丸谷才一『裏声で歌へ君が代』(1981、ただしこれは、僕には駄作だった)、筒井康隆『虚航船団』(1984)……。小説の充実した時代だった。

斎藤美奈子はこれを総称して、80年代の文学は、「反リアリズム小説」に席巻されていた、と書く。

そして、さらに進んで、こんなことを述べる。

「八〇年代前半に『国家論的小説』が書かれたのは、おそらく平和だったからでしょう。換言すると、作者は『国家』にも『小説』にも危機感を持っていなかった。」
 
たしかに、これだけ大胆なことができるのは、小説を信じ、同時に、己の才能を信じていなければ、成り立たないだろう。
 
しかし、「国家」に危機感を持ってはいなかっただろう、というのは、そう言ってしまっていいものかどうか。僕は疑問を感じる。
 
しかし問題は、曲がり角に差しかかる「九〇年代」だ。

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