文学の意味がここにある――『つみびと』(1)

山田詠美のこの本は傑作である。
 
親子四代にわたる系譜のうち、二代目の「琴音(ことね)」、三代目の「蓮音(はすね)」、四代目の「桃太(ももた)」を主人公に、それぞれの悲惨が描かれる。
 
描かれている時代や時間は、それぞれ主人公に応じて、行ったり来たりするが、それで錯綜して読みにくいということは、まったくない。見事なものだ。
 
事件は、「蓮音」が、マンションの一室に、二人の子を置き去りにして、死なせたというもので、実在の事件をモデルにしている。
 
事の起こりは琴音の父親で、その理不尽な、激しい暴力に、母も兄も、そして琴音も、震え上がっている。

その父親が、琴音と二人きりのとき、急性心筋梗塞で死んでしまう。琴音は、父の発作が起きているとき、わざと何にもしなかったのだ。

こういうタイプの父を持てば、いざというときに、こういう態度をとることは、分かるような気がする。しかし、父を見殺しにしたことは、琴音にとって大きな傷になる。
 
それからしばらくすると、男が家に入り込んできて、琴音の母と良い仲になる。しかし本当は、この男(伸夫)は、琴音の身体に執着を持つ、変態であった。
 
琴音はあるとき、ついに我慢ができず、声を限りに叫んでしまう。
 
こうして伸夫を遠ざけた琴音は、高校野球の監督、笹谷隆史と結婚し、三人の子どもを得る。
 
その長女が蓮音である。
 
琴音はこれで、忌まわしい過去を覆い、悲惨な足元と切れたつもりだったが、それではだめだったのである。

熱血野球監督とは、どうしても一緒に、歩をそろえて歩むことはできず、家を出てしまう。
 
母親が出ていったので、長女の蓮音に、一家の重しがのしかかる。熱血監督は、外に向かっては、正論をしゃべり過ぎるほどしゃべるのだか、そのぶん家の中では、全く役に立たなかった。
 
蓮音は、無理に無理を重ねていく。
 
いなくなった母親の代わりに、女が監督と一緒になるが、その女と蓮音は、徹底的に合わない。

そうして蓮音は、男にとって気軽に、性の相手をする女になっていくが、そんなときアルバイト先で、大学生の松山音吉と知り合う。

蓮音は初めて、大事にされるとはこういうことか、これが恋というものか、と有頂天になる。そして妊娠し、その勢いで結婚する。
 
やがて桃太がうまれ、さらに萌音(もね)が生まれた。

けれども、蓮音と音吉の育った環境は違いすぎて、離婚。ここから「子棄て」までは、多少の紆余曲折はあるが、ほとんど一直線である。

以上、僕の拙い文章で、あらすじとも言えない筋を書いたが、たぶん現実には、ただ悲惨なだけで、こういうこともないんだと思う。

あるいは、現実にこういうことがあったとしても、かかわった人間は、それを語る言葉を、持っていないのだと思う。

だから、文学の意味というものが、ここにある。

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