これは反経済学か?――『父が娘に語る―美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい―経済の話』(3)

もう一つ、経済学の教科書には、出ていないことがある。それはインターネットによる、ビットコインの話である。

「インターネットが到来すると、権威に反抗する進歩的な人々の中に、民主的で安全で正直で、物理的な形を持たずコンピュータとスマートフォンの中にだけ存在し、中央で統制する人のいないデジタル通貨の構想が生まれた。」
 
これだけでは、何のことかわからない。アルゴリズムが、どうたらこうたら書いてあるけども、よくわからない。
 
デジタル通貨の構想は、次のようなものらしい。

「ビットコインに参加するすべての人がそれぞれのコンピュータの処理能力を利用することで、全体として取引を監視できる。全員が自分以外の人のすべての取引を監視し、その正当性を担保しているが、誰の取引かを知ることはできないので、プライバシーは守られる。世界中の多くの人がこのアイデアに熱狂し、ビットコインに参加した。」
 
うーん、やっぱりよくは分からない。
 
ただコンピュータで取引を監視でき、全員が、自分以外の人のすべての取引を監視することができる、というのは、一見すばらしいことのようだが、僕は願い下げにしたい。
 
自分以外の人のすべての取引を、監視するなんて、そんなことしたいかね。自分の人生を、そういうふうに、金のために浪費したくはない。
 
でもそこから、新しい経済学が生まれてくることは、わかる気がする(あくまでも、気がする、だけですよ)。
 
著者は結局、どういうことを言いたいのか。

「いま、もし人間と地球を救う望みが少しでもあるとすれば、市場社会では認められない経験価値をもう一度尊重できるような社会にするしかない。」
 
これは、経済学の分野を、充分に超えた話ではないだろうか。
 
さらにその先には、こんなことも言う。

「市場社会は人間の欲望を永遠に生み出し続ける。
 その最たる例がショッピングモールだ。その構造、内装、音楽など、すべてが人の心を麻痺させて、最適なスピードで店を回らせ、自発性と創造性を腐らせ、われわれの中に欲望を芽生えさせ、必要のないものや買うつもりのなかったものを買わせてしまう。そう考えると、どうしても嫌悪を感じざるを得ない。」
 
こういうのは、どういうものかね。たまの日曜日、父親と母親が子供の手を引いて、にこやかに笑いながら、ショッピングモールを、あれこれ覘いてみてまわる。ごく日常的な光景だ。

これを、「自発性と創造性を腐らせ」ることだ、といえるだろうか。欲望を芽生えさせ、買うつもりもなかったものを、買わせてしまう、悪魔のささやきなのだろうか。

僕はもう、脚が悪いので、駅前のショッピングモールを、楽しんで歩くことはできない。だからこれを、著者に倣って、嫌悪を感じる光景と呼んでもいいのだが、それはいかにも、いじけている。現代の人ではない。

「市場社会の求めに応じて行動するか、あるいは頑なにあるべき社会の姿を求めて行動するか、つまり、アルキメデスのように社会の規範や決まりごとから一歩外に出て世界を見ることができるかどうかが、決定的な違いになる。」
 
一歩外へ出て世界を見る、それは確かに極めて重要で、貴重な視点になるだろう。しかしそれは、もはや経済学ではない。

(『父が娘に語るー美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすいー経済の話』
 ヤニス・バルファキス著、関美和訳、ダイヤモンド社、2019年3月6日初刷、4月17日第5刷)

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