これは反経済学か?――『父が娘に語る―美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい―経済の話』(2)

並みの経済の本とは違うものを、と言いながら、それにしては、「経験価値」のところを除いては、いかにも経済の本らしいことが並んでいる。

しかし一つだけ、目新しいことがある。

「……18世紀のイギリスで起きた『大転換』と同じくらい過激な社会変革が必要なのだ。
 いま、われわれはそんな大転換の最中にいる。デジタル化と人工知能による機械化と自動化が社会を根本から変えている。」
 
これをどう考えるか。この劇的な大転換によって、格差や貧困は、なくなっていくのだろうか。

「ある意味、世界はそれとは逆の方向に向かっているようだ。機械は休むことなく働いて、驚くべき製品を大量につくりだしているが、われわれの生活は楽になるどころかますますストレスの大きなものになっている。」
 
これは、従来の経済学が、扱ってこなかった分野ではないだろうか。

「企業はイノベーションによる競争を強いられ、われわれのほとんどはテクノロジーに縛りつけられ、テクノロジーに追いつかなければとますます焦っている。
 ……われわれは回し車の中のハムスターのようだ。どれだけ速く走っても、どこにもたどりつかない。」
 
それは例えてみれば、テクノロジーが人間を解放し、自由にするのではなく、映画『マトリックス』のように、人間を奴隷の状態に置くことだ。
 
著者は、これは経済学のこととして、いろいろと解決策を出そうとしている。

でも僕は、これは経済学を超えていることだと思う。
 
しかし、まず著者の提言を聞こう。それは、すべての人に恩恵をもたらすような、機械の使い方について、である。

「簡単に言うと、企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。たとえば機械が生み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配してはどうだろう? それが人類の歴史をどんな方向に変えていくか、考えてみてほしい。」
 
これはうまくやれれば、素晴らしいことだ。

人間らしさを損なうことなく、一握りの権力者たちの奴隷になることもなく、自分たちが生み出した機械の主人に、みんながなれるようにすること。

でも、どういう道筋を通れば、そういうふうになれるのか。絵空事ではなく、そんなことができるんだろうか。

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