これは反経済学か?――『父が娘に語る―美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい―経済の話』(1)

著者のヤニス・バルファキスは、EUとの関係でギリシャ経済危機のとき、財務大臣を務めた人である。

このときはEUから、財政緊縮策を迫られたが、逆に、大幅な債務帳消しを主張し、世界的に話題となった。

国家間であれば、借りたものは必ず返す、と考えがちだが(そうでなければ最悪は戦争になってしまう)、そういう考え方は取らないらしい。

でも結局、財務大臣は、途中で辞めている。

オビには、「経済の本なのに、異様に面白い」とあり、カバー袖には、「読み終えた瞬間、世界が180度変わって見える――。」とある。

そこでやめときゃいいのに、カバー袖の最後に、「現代を生きるすべての人 必読の書!」とあって、ここまで来ると、眉に唾をつけたくなる。

ともかく読んでいこう。

「経済モデルが科学的になればなるほど、目の前にあるリアルな経済から離れていく……。そこでこの本は、経済学の解説書とは正反対のものにしたいと思った。」

誰もが、経済について意見を言えることが、よい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件である、と著者は言う。
 
僕は必ずしもそうは思わないけれど、今はひとまず著者に従っておく。

第1章は、「なぜ、こんなに『格差』があるのか?」と題して、「債務」と「通貨」と「信用」と「国家」の複雑な関係を、「余剰」をキーに解き明かす。

「つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が濃厚と余剰を生み出し、余剰がその他のさまざまなものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。」
 
僕はこの辺から、だんだんうんざりしてくる。経済の本は、読んでいるときは、それなりに面白いが、読み終わってみると、それがどうした、読む前と後で、自分はちっとも変っていないぞ、と思ってしまう。
 
この本も、出だしは勇壮だけど、結局は大したことはない。
 
ただ価値については、交換価値と経験価値の、二面を言っているところが面白い。

「経験価値」は、通常は、経済学者が価値を置かないものだ。それは例えば、次のようなものだ。

「売り物でない場合、お笑いにもダイビングにも、まったく別の種類の価値がある。『経験価値』と呼んでもいい。海に飛び込み、夕日を眺め、笑い合う。どれも経験として大きな価値がある。そんな経験はほかの何ものにも代えられない。」
 
おやあ、経済学者にしては、経済に固有のフィールドから離れていくぞ。

「いまどきはどんなものも『商品』だと思われているし、すべてのものに値段がつくと思われている。世の中のすべてのものが交換価値で測れると思われているのだ。
 値段のつかないものや、売り物でないものは価値がないと思われ、逆に値段のつくものは人の欲しがるものだとされる。
 だがそれは勘違いだ。」
 
こうして著者は、経済の本から、ますます離れていってしまう。

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