無性に読みたくなる――『不良老人の文学論』(2)

今回は、連載記事ではあるのだが、メーンタイトルを次々に代えたい。筒井康隆には、そのくらい敬意を払うべきであろう(次々に代えると、なぜ敬意を払ったことになるのかは分からないが)。

筒井康隆が、それについて書くと、その作品が、無性に読みたくなる。
 
例えば、「風太郎と明治物」の項。

山田風太郎の『幻燈辻馬車』『明治波濤歌』『警視庁草紙』は、明治物として名高いが、筒井康隆が、それについて書いていなければ、読もうという気にはならない。

「中でもぼくのピカ一は、多くの方がたと同じく『幻燈辻馬車』である。幼い孫娘を横に乗せて馬車を馭する干兵衛。危機に陥るたび孫娘が『とと』と叫ぶと、西南戦争で死んだ息子が出現して馬車の前に立つ。この場面は誰もが記憶する名場面であり……」。
 
誰もが記憶する名場面というのを、ぜひ読んでみたい。

考えてみると、これまで山田風太郎のよくできたシーンを、具体的に書いた者はいなかった。これも不思議なことではないか。

また、フェルナンド・イワサキの『ペルーの異端審問』を扱った、「大らかで根源的な笑い」の項。

「厳しい宗教上の掟による抑圧で、宗教者であったりそれを騙ったりする多くの人間たちが淫欲に溺れてゆく。禁欲の中で肉欲が燃えあがり、あまりの欲望ゆえに時には早漏気味の盛大な射精に至る聖職者たち。それらはまさに禁忌であるが故にこそ、あまりにも快美なのだ。」
 
ちょっと読んでみたいと思いませんか。

「異端審問官とて、夢魔や悪魔や聖職者たちと寝たという女を尋問する際の、全裸の彼女たちの陰部をいじりまわしたりもした上での、その供述を大いに楽しんでいる。」
 
うーん、ますます読んでみたい。

「特に各章の結びの一、二行、たいていは笑いに結びつくその一、二行の切れ味は秀逸という他ない。」
 
そして気がつくと、ネットで注文していた。
 
谷崎潤一郎は、中学のときに、「春琴抄」と「鍵」を読んだきり、ご無沙汰だった。理由はあるが、たいしたことではないから、ここでは書かない。
 
筒井康隆は、谷崎を全部読んだ上で、こんなふうに述べる。

「今まで読んだ中でのぼくの一番のお気に入りはというと、これはもうはっきりと『卍』であろう。こんなに複雑な話を饒舌体でもって面白おかしく語ってしまえるというのは天才としか言いようがない。」
 
全部の中でこれが一番、と述べているからには、読まずにはおられまい。

「その次が『武州公秘話』であろうか。グロテスクさのあまり腹をかかえて笑ってしまうという体験はこの作品を読んだ時以外にあまりない。」
 
グロテスクさのあまり腹をかかえて笑ってしまう、という体験は、滅多にしないものだけど、それでもいくつかはある。

しかし、そういうことが問題ではない、とにかく読んでみなさい、ということだ。

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