すれちがい――『ただの文士ー父、堀田善衞のことー』

娘、百合子が、堀田善衞のことを書く。よくあるタイプの回想録である。
 
でも、面白かった。そして、この作家を読んでこなかったことを、ちょっと後悔した。
 
私は、堀田善衞のものは、『広場の孤独』以外は読んだことがない。もう一作、読んだことがあるような気がするが、はっきりしない。
 
あ、そうだ、小説以外では、岩波新書の『インドで考えたこと』も読んだ。でも、中身は覚えていない。
 
そういえば、『方丈記私記』も読んだことがある、ような気がする。でも、内容は覚えていない。

『広場の孤独』は、駄作と言っては言いすぎだが、あまり感心しなかった。高校か大学のころ読んだもので、だから読むほうもいい加減である。
 
しかし小説を、続けて読もうとは思わなかった。
 
だいだいオビの文章が、「『時間』『インドで考えたこと』『方丈記私記』『ゴヤ』『路上の人』などの作品で知られる堀田善衞」とあって、小説家というには線が細い。というか、文明批評家の色が濃い。
 
しかし、娘の回想録を読んでいると、面白いところもある。
 
まず文壇づきあいのところ。

「吉祥寺の埴谷雄高邸にもよく連れていかれました。当時埴谷家では、しょっちゅうダンスパーティーが開かれていたのです。父、母、私、埴谷夫妻、佐々木基一夫妻、武田泰淳、百合子夫妻と娘の花さん、梅崎春生夫妻等々、飲んで、しゃべって、ダンスに興じていました。」
 
未来社にいた松本昌次さんのことを、書いたばかりなので、中央線沿線の文士の話は、ついつい引き込まれるのである。
 
こういうところが何か所かあるが、それが結節点となって、焦点を絞り込み、そこから逆に、深く広い世界に入っていく、ということはない。

だからその箇所を、私が書き連ねることはしない。

「若き日のヨーロッパへの憧憬。戦中、上海、戦後の日本で考えたこととその経験。アジアや第三世界で考えたこととその経験。そしてようやく鴨長明『方丈記』にたどり着き、ヨーロッパ近世・争乱の時代の『ゴヤ』と付き合い、藤原定家卿に寄り添い、時間と空間という大きな壁を乗り越えつつ、仕事を続けてきたのだと思います。」
 
モンテーニュ(『ミシェル 城館の人』)に至るまでを、総括した文章だが、やっぱり不思議だ。鴨長明であれ、ゴヤであれ、藤原定家であれ、どうして同時代人を避けて、しかも何年にもわたる情熱を傾けて、その人に肉薄できたのか。
 
私は、堀田善衞を読む気はないので、堀田善衞を対象とする、誰か批評家のものを読んでみようと思っても、それもない。

(『ただの文士ー父、堀田善衞のことー』
 堀田百合子、岩波書店、2018年10月12日初刷、11月26日第2刷)

この記事へのコメント