戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(4)

最初にこの論争に火を点けたのは、花田清輝だった。

「花田さんの吉本さんへの批判というのは、大雑把にまとめるならば、『戦争協力詩を書いた前世代の詩人たちを個人の名において糾弾するのではなく、時代と関連させつつ、戦後の芸術運動を高揚させることで全体として乗り越えるべきだ』というものでした。」

もともと花田清輝は、芸術運動や思想運動は、論争や対立によって発展するものだ、と考えていた。だから、方法としての「論争」を、非常に重視していた。

しかし吉本隆明は、それとは少し違っていた。

「吉本さんの世代はそれこそ戦場で死ぬことしか目前の選択肢がなかった。だから吉本さんの戦争協力者に対する反発や恨みというものは、花田さんの想像も及ばないほど根深いものだったと思います。」

吉本隆明の姿勢は、芸術運動や思想運動の、全体的な発展よりも、個人的な自力の思想の構築に、比重があるのだ。

「だから相手に勝つか負けるかの世界なのですね。ともかくいわれるように『自立』の思想家ですから、論争においてもいかにみずからの主張が正しいかということが先にくるわけです。」

そういうわけで、自立する思想家、吉本隆明の言語論である『言語にとって美とはなにか』や、国家論である『共同幻想論』は、たいへん優れたものだが、それを私たちが受け取って、そこからどのような実作や芸術につなげていくか、を考えるとき、はたと困惑せざるを得ない。

これらは、吉本が個人として確立した「記念碑的理論」であり、そこから何かを受け取って、つないでゆくことは、できないのではないか。

だから吉本隆明は、「失礼な言い方かもしれませんが、よく言われるように『知の巨人』として『吉本隆明自立思想記念館』に永久に保存される方だと思います。」

これは、かなり強烈な、吉本に対する批判である。

一方、花田清輝という思想家は、文章を書いたときから、その理論というようなものはなくて、めいめいが、実作や芸術運動に生かす以外に、花田の思想を読み取ることはできない。

松本さんはその結果、『芸術的抵抗と挫折』と『抒情の論理』の二冊の本を作ったあと、吉本隆明とは、「永いお訣れ」をすることになったのである。
 
松本さんの、吉本隆明に対する批判は、総括すると、次のようなものであった。

「『知の巨人』『思想界の巨人』と周囲からもてはやされた半世紀余の吉本さんの道程を、私は無念に思いかえす。それは残念ながら、日本資本主義の高度成長を総体的には補完・擁護するものとなったのではなかったか。」
 
晩年にさしかかったころの、吉本隆明の『マス・イメージ論』や、『ハイ・イメージ論 Ⅰ・Ⅱ』を思い浮かべながら、私は、本当にそうだなあと、この言葉を嚙みしめている。

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