戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(1)

松本昌次さんが亡くなった。2019年1月15日。享年91歳。

その晩年の姿を、著書を通して、書いておきたい。
 
ここでは、私が編集をした『わたしの戦後出版史』(トランスビュー、2008年)と、それ以後に出た『戦後編集者雑文抄ー追憶の影ー』(一葉社、2016年)、そして遺稿集、とは言っても松本さんの眼の行き届いた、『いま、言わねばー戦後編集者としてー』(一葉社、2019年)について書く。

『わたしの戦後出版史』は、元講談社の重役、鷲尾賢也氏の企画だった。
 
それをまず、トランスビューにいた、私のところへ持ってこられ、単行本として必ず出すことを前提に、その前に、朝日新聞の月刊誌『論座』に連載することにした。
 
松本昌次さんは1953年、未来社に入った。それから30年を経て、自身で創業した影書房に移るまで、超人的な活躍ぶりで、戦後出版史の重厚な、また今となっては、華麗な部分を、担い続けた。

戦後30年は、未来社のような小出版社が、縦横無尽に活躍できたのである。もちろんそれは、松本昌次さんという、稀代の編集者がいてこそであるが。

鷲尾さんは、松本さんに話を聞くのに、元講談社重役である自分と、小学館重役で小学館クリエイティブ社長の上野明雄さんの二人を、聞き役に立てた。

朝日新聞出版部の担当者は、中島美奈さんであった(このころはまだ、朝日新聞出版社というかたちで、出版は独立してはいなかった)。

鷲尾さんの企画案は、実に周到なものだった。松本さんの未来社での話を聞くのに、元講談社と小学館の大立者が、聞き役としてそろい、それを朝日新聞の『論座』に載せる。そうして単行本は、トランスビューという、最も小さな出版社から出す。

聞き書きは、2005年10月から2年間、16回に及んだ。それを『論座』に、21回に分けて連載した。

企画というのは、こういうふうに作るんだ、という見本だった。

松本さんへの聞き書きは、6時から9時くらいまで。丁々発止で伺い、それが終わると場所を変え、酒を挟んで、出版について思うところを、腹蔵なく語り合った。

そういうときの、松本昌次さん、鷲尾賢也さん、上野明雄さんのやりとりは、歯に衣(きぬ)着せぬどころではなく、はらはらして、実に面白く、スリリングであった。

中島美奈さんと私は、注意深く一言も聞き逃すまいと、ただ耳を澄ませていた。

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