救いはほとんどない――『ホテルローヤル』

これは六年前の、桜木紫乃の直木賞受賞作。このごろ、こういうものはめったに読まない。出版界の、たいていは貧すれば鈍する世界が、透けて見えるからである。
 
けれども東京新聞には、この本は文庫になってからも、着実に売り上げを伸ばし、もうそろそろ、100万部に手が届きそうだ、という話が出ていた。
 
それならちょっと面白そう、と思うではないか。
 
で、読んでみたが、読み終わって、「底辺」に蠢(うごめ)く、倦怠感溢れる男女の営みが、これでもかこれでもかとばかりに、ゲップとともに出そうで、閉口した。
 
まあ潰れた、連れ込みホテルが、舞台なんだから、しょうがないとも言えるが。
 
全部で7つの連作短編を収める。

そのうちの、住職の妻が檀家に性的な奉仕をする、「本日開店」には、こういう文章がある。

「野菜を洗う水の冷たさが肘から二の腕、胸元から腹へと伝わる。冷たさはやがて幹子の中心部に届き、綿の花がはじけるようにポンと開いた。」
 
性的なものと、台所仕事を重ねていて、うまいものだが、もうこういう上手さは、私は願い下げにしたい。
 
ここに出てくる男女は、だれも明日を信じてない。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日がある。そこには、どんな希望もない。
 
けれども全編の中で、「バブルバス」という話に、本当に一カ所だけ、微笑ましいところがある。

「『お前、もう風呂に入ったのか』
『うん。泡はなくなっちゃってたけど。汗、流しておいでよ』
起きあがった真一も、少しふらつきながらバスルームに消えた。シャワーの音が響いてくる。明るい場所で夫の裸を見るのも悪くなかった。ふたりとも等しく年を重ねていることがわかる。それはそれで、幸福なことに違いなかった。」
 
全編中で、救いはここだけだった。
 
そういえば、桜木紫乃はこの時期か、あるいは前後して、東京新聞に連載小説を持っていたな。そういう時は、心して書評を読まなくては。

(『ホテルローヤル』桜木紫乃、集英社、2013年1月10日初刷、7月30日第4刷)

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