小説、もどき――『草薙の剣』(3)

一方、時代を支える「装置」の方も、描かれ方は、かなり杜撰(ずさん)だ。例えば大学。

「『勉強をしろ』と言い続けたことのゴールは来た。もう『勉強をしろ』と言う必要はない。豊生の父親は、『息子は大学に入ったんだ』という事実をビールと共に流し込んで、腹の中に溜まる湿気を心地よいものと感じていた。
……
〔豊生のほうにしてみれば〕大学はもう、そこで『頑張る』ような場所ではない。頑張って、社会人になるためのパスポートである学歴を取得した人間が、四年間自由に遊んでいられる装置なのだ。」
 
こんなことを、いまさら文章にして、読む必要があるだろうか。というか、いったいどういうつもりなんだ、橋本治は。
 
もちろん鋭い指摘も、数は少ないけれども、所々で入ってくる。

「その四年後、在位の天皇が世を去って、『昭和』という時代が終わった。しかし、時代というものは、チーズや肉の塊のように、切り分けて簡単に区切りが作られるものではない。時代というものは、多くの人々が籍を置く地の上を流れる雲のようなもので、たとえ多くのメディアが声を揃えて『一つの時代が終わった』と言ったとしても、世に生きる人々は深くうなずいたりはしない。」

昭和が平成に切り替わるとき、橋本治は、こんなふうに、実に冷淡に、何も変わらない、と言っていたのだ。

そしてこれは、政治家とメディアが、太鼓叩いて笛吹いて、「令和の御代」が来ようとしているのを、橋本治が、あの世から、からかい、皮肉っているかのようだ。

しかしもちろん、時代を大づかみにする、こういう能力は、小説家とは別種の能力だ。

ほとんどの人物が、愚鈍な一面を背負って、軽侮の対象として描かれるときに、「凪生」の母だけは、珍しく肯定的に描写される。

しかしそれは、もっと大きな愚かさを用意するための、便法だとわかる。

「前向きで上昇志向の強い女子大生は、就職をした後でもその姿勢を変えなかった。なぜ変える必要があるのだろう。彼女は社会のエリートの一員でありたかった。そうでなければならなかった。そう思う彼女の自負心を、やがては『バブル経済』と言われてしまう時代が肯定していた。」
 
必死に自立せんとする、女の頑張りも、大きな枠で見ると、いよいよ滑稽きわまる茶番だ、というふうに橋本治は見る。

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