小説、もどき――『草薙の剣』(2)

もちろん、きらりと光る文章もある。
 
戦争が終わった直後、闇市を舞台に、人々が途方に暮れるところだ。

「食糧は足りない。足りない食糧が闇市にはいくらでもある。需要の多さと供給の少なさを嘲笑うように、飢えた者の前で湯気を立てる蒸かし饅頭は高値をちらつかせる。空襲を恐れる必要のない冴え冴えとした夜空の下で、飢えを感じた人達は『どうしてこんなになにもなくなるまで、戦争は野放しにされていたのだろうか?』と、ぼんやり思った。」
 
最後の文章は、橋本治の、冴え返ったオリジナルなものだ。『どうしてこんなになにもなくなるまで、戦争は野放しにされていたのだろうか?』というのは、言われてみれば、誰もが疑問に思うところだ。
 
でもこれは、焼け跡闇市にいた群衆ではなく、平成末に文章をこしらえている、橋本治の口に上った疑問だろう。闇市にいて、腹を空かせた群衆には、そんな疑問を抱いている暇はない。私はそう思う。
 
いかにも「小説」、という文章もある。

「嫁は、姑の助言に従って後日同じ料理を作り直す。食卓に上(のぼ)せて『どうですか?』と尋ねるが、姑は『そうね』と言ったきり答えない。姑に悪気はない。うっかりしたことを言って嫁の料理をけなすことを恐れていて、嫁はそれ以上なにも言ってくれない姑の前で身を強張らせる。小さなわだかまりが少しずつ溜まって言った。」
 
嫁姑を描いて、うまいものだ。大衆小説のレベルで、戦後家庭の一風景を描き、ほとんど内館牧子と見紛うようだ(皮肉ですよ)。
 
こういうところがあるから、読者はつい、面白いなあ、と錯覚してしまう。
 
でも著者が、主人公を扱って冷淡なのは、これはもう、どうしようもない。

「死んだ人達と自分の将来を関係付けて考えるという発想自体が豊生にはないから、父親がなにを言っているのかよく分からない。『空襲で死んだ』とか、『戦後の苦労』ということに至っては、なんの話なのかさえ分からない。要は『勉強をしろ』ということなのだから、分からない話に我慢して付き合って、『分かったか?』と言われれば、『はーい』というしかない。」

主人公の一人である豊生は、大衆の愚かな一面を背負った人物、として造形される。その人物描写に救いは全くない。

そしてこれは、どの年代の主人公でも、同じなのである。

いや、主人公だけではない。その配偶者たちもまた、救いはない。救いがないどころか、その突き放した描写は、ほとんど軽蔑と嫌悪感で一杯だ。

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