本当の疑問――『散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道ー』(4)

栗林忠道は、実際にアメリカを知る機会があった。

「栗林は米国通の軍人だった。まず昭和3年から5年まで軍事研究のため留学。30代後半の、まだ陸軍大尉だった頃である。その後、昭和6年から8年まで駐在武官としてカナダに滞在している。
 アメリカ留学中は……ニューヨークやサンフランシスコ、ロサンゼルスなども訪れ、みずから車を運転して大陸横断までやってのけている。アメリカの軍事力、経済力を自分の目で見て把握していたのである。」
 
最後の一文には、疑問がある。栗林は本当に、「アメリカの軍事力、経済力を自分の目で見て把握」していたのだろうか。たぶん、そんなことはない。
 
ここから数行後に、こんな文章がある。

「〝アメリカびいき〟〝親米派〟だったかどうかは別として、栗林が、この戦争が無謀なものであることを知りつつ、死力を尽くして島を守り抜こうと決意していたのは確かであろう。」
 
おっかしーい、でしょう。滅びることを知りつつ、苦渋の表情で、運命を受け入れる。まるで東映のヤクザ映画である。
 
どうして、こういうことになるのか。
 
栗林は、アメリカと直接、戦争をするに際して、「烈々たる言葉」で、六項目の「敢闘の誓」を立て、全軍に配っている。
 
その中には、「我等は一発必中射撃に依って敵を撃ち仆(たお)さん」とか、「我等は最後の一人となるも『ゲリラ』に依って敵を悩まさん」、というようなスローガンがあるが、その中に、こういう一文がある。

「我等は敵十人を斃さざれば死すとも死せず。」
 
こういうスローガンを、正気で全軍に配布する栗林を、近代人として遇することができるだろうか。

「結果を言えば、2万余の将兵はまさにこの『敢闘の誓』通りに戦った。見事とも、無惨きわまりないともいえる戦い方である。それは米兵たちを震撼させた。」

「見事とも、無惨きわまりないともいえる戦い方」というのは、どちらが正しいのであろうか。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているに違いない。
 
梯久美子は、ギリギリのところで、筆を止めているが、でも、それではだめなのである。

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