それにしても、なぜ?――『〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺――1972~2016』(5)

最後の日記は、日記帳ではなく、別紙に書かれていた。

「2016・1・25
 ……
 なにも手伝えなくて、何もできなくて、ごめん。
 突然の事故で、と言えばいいと思う。
 無責任で、家族に対する犯罪で、死んだ後ひどいコトになる。でも、他に思いつかない。ごめんね。」

そして2016年2月2日、午後7時11分に、首を括って死去した。

この本の「あとがき」を、ご両親が別々に書いておられる。

そのうちの、ご父君の「あとがき」に、晩年の西村玲さんの、精神的な傾きの経緯が記されている。

「四十歳まで、玲は真面目に精進していれば、〝しかるべきポスト〟はついてくると無意識に信じて研究を続けていたし、親も、これだけ勉強していれば報われないはずはないと思っていた。先のことは考えず、『今、ここ』だけを生きていたのである。」
 
それが40歳を超えて、大学にポストを求めて、得られなくなったとき、足元が揺らぎはじめる。

「二十校以上の大学にポストを求める願書を出して、その都度『貴意に添えず』という回答を得、要求された大部な願書が読まれた形跡もなく返されてきた〝実績〟に鑑みて、状況はこれから悪化することはあっても良くなる見込みはないと判断した。今日の大学が求めているのは知性ではなく、使い易い労働力だという現実を認識せざるを得なかった。」
 
日本の大学の現状については、このブログの『文系学部解体』(室井尚)や、『知性は死なないー平成の鬱をこえてー』(與那覇潤)で、論及したことがある。
 
西村さんは、40歳を超えて、少し弱気になったのだ。あるいは弱気になるように、つけこまれたというべきか。

「とつおいつ考えた末に、彼女自身言うところの『非常口』を開けるしかないと思った。結婚ーー研究は好きなだけやってよろしいというような奇特な男がもしいれば、安定した生活の中で好きな勉強ができるかもしれない。大きな期待をしたわけではないが試してみようと思った。/たまたま、その可能性のある男にめぐりあった。初めは冗談のように考えていた玲も、早朝から深夜に及ぶメイルによる執拗な口説き、熱意にほだされた。この話を断われば、相手の両親が上京して口説くという。」
 
これは二人が納得した、「契約」のように見えた。しかし「契約」は、成り立っていなかった。

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