それにしても、なぜ?――『〔私家版〕西村玲 遺稿拾遺――1972~2016』(4)

私は脳出血で、2014年11月20日に、虎の門病院に運び込まれた。それからほどなく、小金井リハビリ病院に転院した。そこに半年間、2015年6月の初めまでいて、家に帰った。半身不随のままだった。
 
西村玲さんは、2014年3月に、「『私、結婚する』と突然、親に宣言」し(「年譜」)、精神科医でクリニック勤務の男性と婚約、11月に式を挙げる(『遺稿拾遺』には、男性は実名で記載されている)。
 
西村さんは、講義の都合があるので、東京の実家で暮らし、2015年の4月から、倉敷で結婚生活に入った。
 
6月には、イタリアで新婚旅行に出かけている。
 
私が、友人たちのおかげで、快気祝いの席に出られたのは7月で、このとき西村さんは、東京にいて出席されている。
 
場所は出版クラブだった。私が、結婚したんですね、と声をかけると、ええ、とためらいがちに、微笑みを浮かべておられた。
 
それ以上の話はしなかった。とにかく私は、かろうじて立っていられるだけで、話の相手をすることもできなかった。これで快気祝いとは、よく言ったものだ。
 
島田裕巳氏が、これは中嶋の生前葬だな、と笑いながら言っていたのが、当たっているんじゃないか。
 
西村さんは、8月は東京で集中講義があり、実家に泊まっている。
 
このころ男性は、「八年間服薬、注射していた統合失調症の薬を独断で中止し、勤務先院長より〝統合失調症の再発〟として休職を通告される。このとき初めて、全く隠蔽されていた統合失調症の病歴を知る。」(「年譜」)
 
男性のみならず、その両親も、婚約したときから、結婚後を通じて、統合失調症の病歴があることを徹底的に隠し、再発後に初めて認めたのである。

『遺稿拾遺』の終わりは、西村さんが亡くなる直前の日記だ。

「2015・11・2
 本当に、わずか二、三ヶ月でどうしてこんなにひどいことになったんだ。もう先のことも、前のことも考えない。本当に立ち上がれるのかどうか。仕事、研究のことがまるで別世界のように思える。それだけのことをされたんだから。……」
 
その四日後。

「2015・11・6
 大学に職がなく、安定を求めて結婚したら、相手が統合失調症で、自分が病気になりかけて、離婚を決めたけれど、応じてくれない。安定に目がくらんだことを認めつつ、認められない。……」
 
このあと、年が明けても数日、日記は続くが、徐々に精神の傾きは、より暗い所へ傾斜してゆく。

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