なぜいま原民喜か――『原民喜ー死と愛と孤独の肖像ー』(1)

これは、岩波新書にもう一つ、カバーが掛けてある。『原民喜ー死と愛と孤独の肖像ー』というタイトルと、梯久美子という著者名、そして通常は帯の文句である、「愛しすぎて、孤独になった。今よみがえる、悲しみの詩人」という惹句が、カバーに刷ってある。
 
岩波書店も苦労してるね。梯久美子は、今の岩波としては、ビッグネームだ。かなり部数がすれるはずだし、またそうでないと著者に対しても、面目が立たない。
 
しかし今、単行本で刷れたとしても、せいぜい2,3000ではないか。岩波で、それを超えて部数が刷れるのは、衰えたといっても、岩波新書に如(し)くはない。
 
けれども、岩波新書の一冊として埋没させるには、著者の名前からしてふさわしくない、というかもったいない。
 
社内的には、岩波新書だからといって部数を確保し、書店に出すときは堂々の単行本。これで行くしかない、と編集者は考えたと思うのだが、違うかな。
 
原民喜については、東京で大学を出て、所帯を持ったが、妻が病気で他界、その後、疎開先の広島で原爆に遭い、東京に出て、「夏の花」を出版するも、鉄道自殺する、というのが、僕の知っているすべてのことがらだ。
 
そう思って読んでいくと、その通りのことが書いてある。そしてもちろん、相応に詳しく書かれている。それに何といっても、梯久美子の文体がよい。

1939年に、「三田文学」に発表された、「溺没」という短編小説について。轢死という死に方は、原民喜がもっとも恐れていたものだった。原は若いころからずっと、轢死幻想にとらわれていたという。

「光るシグナル、開け放たれた窓のつらなり、胴体の上を通過する電車の床を踏んでいる女の靴……。怖ろしくてならないものを、怖ろしさゆえに繰り返し夢想せずにはいられず、その反芻の中から、結晶が析出するように、あるイメージが生まれてくるーーそんな文章が原にはしばしば見られるが、『溺没』もそうした作品といえる。」
 
本当に原民喜がそこにいて、その内面までが、さらけ出されるようだ。

「原爆の惨禍の記憶は、原の感受性の基底にもともとあった外界への怯えに、あらたな層を付け加えた。電車への恐怖は戦後、さらに増していたはずである。」
 
梯の文体は、一度取り込まれると、そこからは、なかなか抜け出すことができない。予想外のことは起きていないにも関わらず、のめり込み、飛ぶように読めてしまうのだ。
 
次に挙げるのは、全体を統括する一文である。

「戦後の東京にひとり戻った原は、死者たちを置きざりにしてしゃにむに前に進もうとする世相にあらがい、弱く微かなかれらの声を、この世界に響かせようとした。」
 
そしてその後、原は自殺を選んだ。原は、自死を選んだとき、はじめてその人の生が、くっきりと浮かび上がってくる、そんな人間だった。

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